好きなことを好きなだけやれる幸せ

生きていて一番嬉しいことは好きなことを好きなだけやれることだ。これ以上のことは他にはないと思う。幸いなことに今そういう暮らしが出来ている。生きる喜びは、一日の充実以外にない。それはやりたいことがあるという幸せなのだろう。74年かけてやりたいことにたどり着いたのかも知れない。
井原西鶴は、『日本永代蔵』で、「二十四、五歳までは親の指図を受け、その後は自分の才覚で稼ぎ、四十五歳まで一生困らないだけの身代を築き固め、それで遊び楽しむのが理想の生き方ときわまったものである」と書いている。なんとなく人ごとではない。
江戸時代で言えば隠居を意味している。私は30代後半で自給自足生活を目指した。そして、45の時にはあしがら農の会で、みんなの自給を始めている。自給自足を達成して、今度は一人の自給から、みんなの自給をしたいと考えた。後は好きなことだけして、生きていけると楽観できたのだ。一人よりみんなの方が楽しい。
それから30年好きなことだけをして生きてきた。全く楽しいばかりの毎日だったと思う。今はのぼたん農園の完成を目指している。好きなときに田んぼや畑をやる。水牛と遊ぶ。そして、気が向いたときに絵を描く。身体も30歳後半以降どこかが悪いと言うことは無い。全く幸運な人生としか言いようが無い。
このありがたい毎日が送れるのは戦争のない平和な時代だったからだろう。父は戦争に7年間も連れて行かれ、やりたかった民俗学の道を絶たれた。そして、戦後は食べるものに困りながら、家族の生活のために必死に働いてくれた。その御陰で、今私は安楽に暮らしていられるのだ。
それは母も同じで、子供のために一生懸命な人で、私の山北での自給自足生活を15年間一番支えてくれたのが母だった。母は自給自足の山の中の小さな寺で育ち、自給自足の体験があった。だから、私の自給自足の挑戦を一緒になり、面白がり挑戦してくれたのだ。一番の戦力で私以上に役に立ったのだ。
父母の恩と言うが、今こうした暮らしていたのでは、恩に報いているのかどうか、申し訳ないような気持ちになる。ただ今となれば、父も母も最後まで家で看病出来たことがせめてもの恩に報いた気持ちだ。もちろん十分などとは到底言えないのだが。多分父や母なら分かってくれると、甘えているのかも知れないが。
好きなことを好きなだけと言っても、まず好きなことが無いというのではどうしようもない。定年退職したらやることがないと言うような人も居るらしい。まさかと思えるようなことだが本当である。隠居していよいよやりたいことがやれるようになったわけだ。所がないのである。
絵を描く人で学校で美術の教師をしている人は多い。退職したら絵三昧の暮らしには入れると、意気揚々と定年生活に入る。所が絵が忙しかった教師時代よりも、一気にひどいものになる。こういう人をよく見てきた。忙しい頃の方が、まだ精神が緊張していたのだろう。
隠居をして、絵まで隠居をしてしまう。結局の所絵が好きなわけでは無かったというのだろう。絵が本当に好きならば、定年まで学校に勤めていられないのが普通だ。西鶴が言うように、45歳頃には教師を辞めて、後は何とか生きて行けるのだから、絵を描くばかりの遊興生活に入るはずだ。
もちろんこの何とか生きていけるの範囲が違うのだろう。私は絵を描いて生きて行くと決めていたから、他のことはどうでも良かった。どんなものを食べようが、破れた服を着ていようが、生きて居さえすれば、それで十分おもしろくて、良かったのだ。
日本鶏を飼い、自給の田んぼをやる喜びは、これ以上にないほど素晴らしいものだった。実に愉快な毎日だった。明るくなればもう開墾作業をしたくて、作業を開始した。先の見えない日々であったが、希望に満ちていた。若い時代の最高の暮らしだと思う。
そんな開墾生活でもう一度絵を描く気になった。気持ちが回復したのだ。絵描きには成れないと言うことが、分かってきて、絵を描くことまで滅入ってしまったのだろう。絵を売る暮らしがあまりに屈辱的で辛かったのだ。卵は胸を張って買ってくれと、行商まで出来たのに。絵はそれが出来なかった。
山北で一軒一軒家を訪ねて卵を買ってくれませんか。と歩いたのが始まりだ。誇りを持って卵売りが出来た。ところが画廊の個展会場では、絵を買って下さいとは言えなかった。絵は商品ではないという意識が強かった。それにも関わらず、毎月のごとく個展をして、何かが壊れた。
それで自給自足生活を目指した。食べるものから自力更生である。始めて見ることこれほど興味深いことはなかった。開墾生活は今思えば最高の冒険だった。それから自給自足生活の探求を今でも続けている。もう35年になるが、その面白さは変らない。一年でも長く、1時間でも長くやっていたい。
動禅体操を続けるのも、自給農が長くやれるためなのかもいれない。身体がそこそこ動かなければ、自給農の探求は出来なくなる。何とか石垣島で自給農法を確立しなければ、と言う思いだけだ。しかもその目的を大勢の人と共有できている。
みんなでやれると言うことが楽しいのだと思う。到底一人では続けられない。絵も同じことだ。絵は一人で描けることは描ける。しかし、一人で描いていたらおかしなことになる。絵を進めるためには一人になってはだめだと考えている。同じ志のある仲間がなければならない。
水彩人という仲間が居る。絵のことを自由に何でも話し合える仲間が居る。だから、楽しく絵を描くことが出来るのだと思う。絵を並べてみて自分の絵がなんたるかを気付くと言うことは良くある。だから、水彩人展の開催中は会場にいて、自分の絵とみんなの絵を見て歩く。
これがなければ、独善に陥る。坐禅ですら一人でやるのはだめだと言われている。只管打坐なのだから、一人で良さそうなものなのだが、一人でやるとおかしくなるとよく言われた。みんなでやると言うことは、人間らしく生きるためには、とても大切なことなのだ。
一人でやれるようになる。そうしたら次はみんなでやる。これが楽しく暮らす一番のコツだろう。好きなことを見付けるコツでもある。本当に好きなことなのかどうかは、みんなと一緒にやってみなければ分からないことだとおもって居る。