経済危機の乗り越え方

   



 日本はすでに経済危機に陥っている。一人一人がこの経済危機の乗り越え方を自分のこととして考えなければならない状況になっている。災害が来た時とっさにどうすれば良いのか分からなくなり、何もしないで居ると言うことになりがちである。経済危機はそこまで迫っている。

 危険が迫っているにもかかわらず、自分だけは大丈夫だと考えて動かない。今の日本はそんな状況なのだろう。何とかなるだろう。誰かが何とかしてくれるだろうと、自ら動こうとできない人が大多数だと思われる。大げさなことではなく、日本の経済危機は抜け出せないほど深刻になっている。

 にもかかわらず、アベ・黒田路線が継続され、いつまで経ってもアベノミクスの大失敗を認めないままである。最近のアベ黒ダの様子を見るとかなり追い込まれたように見える。失敗を認められないのだから、経済危機を乗り越える方法が見つかるわけがない。物価上昇2%の当初目標は今では意味が違う。

 円安にこれほど振れているのに、それを良いことだとしている。何故だろう。アベノミクスの失敗は新産業の創出が出来ないと言う事である。今ある産業を守ることに終始していてる。円安は既存企業には良いのだろうか。新しいものに挑戦する芽を育てようとしていない。

 農業分野で言えば、国際競争力のある農業と言うことが盛んに言われる。一見理屈のあることだ。しかし、その背景にあるものは主食の生産など止めて、もうかる農業だけをやれと言うことだろう。日本の人件費と土地価格で儲かる農業と言えば、付加価値の高い果樹や畜産と言うことになる。

 その結果何が起きているかと言えば、食糧自給率のますますの低下である。農業に置いて一番重要なことは、日本国としての食糧自給の確保である。現在37%の自給率をせめて、74%ぐらいに倍増しなければならないのが、農業の本来の目標である。当たり前すぎるがそれができない。それがアベノミクスの実態である。

 国際競争力などと言ってはいられない緊急事態が農業に迫っていることに、政府は何故か真剣に向かい合うことができない。たぶん食糧自給と言うような地味なことは興味がないのだろう。そこまで来ている危険を見ないで、仮想敵国中国に気をとられている。

 いくら国際競争力をと言ったところで、食べるものがなくなれば国は終わりだ。安い食料を輸入すれば良いというのが、アベノミクスの言い草だったわけだが、安い食料などこの先どこにあると言うのだろう。世界は食糧不足なのだ。円安がここまで進んで食料輸入は不可能になるだろう。

 日本の経済はまったく振るわなくなり始めている。食料を輸入したくとも出来なく成りつつある。危機がここまで来ている以上、国民は自分の力で逃げるほかない。災害時には自助か共助しかないというのが、防災の専門家の言い草である。国や公共は何かしてくれやしない。繰返しの災害の経験でそのことは身に染みている。

 それぞれが自分で食料を作らなければならない時代がそこまで来ている。早く始めたものだけが災害を逃れることになる。戦後の食糧難時代に私の家では相模原で農業をやって生き延びたそうだ。私の母はそのお隣りの畑で畑を手伝っていた。農業の素人だった、笹村の家では農業技術のある、母に来て貰って食糧危機を乗り越えたらしい。

 何しろそのお隣の畑でやっていた兄と妹の二人はサツマイモを植えたのだが、それが収穫できず、飢え死にをしたのだそうだ。これが食糧危機の胃現実なのだ。農業技術がなければ、生き延びることも出来ない。まず食料生産の技術を身につけると言うことが、最初に行わなくてはならないことだ。

 お米が一番である。稲作は4000年の歴史がある。連作可能な作物だ。水があれば、田んぼで肥料を生産しながら、お米の収穫が出来るという、永続の可能性が高い農産物である。お米が一番楽だから誰もが自給農業として取り組むべき物だ。

 お米であれば、自営業で働きながら、あるいはどこかに務めながらでも、十分に可能な作物である。日曜だけで充分に食料生産が出来るのが稲作である。100坪の農地があれば、一軒の食糧自給は可能だ。その実践を小田原では35年間してきたが、今度は石垣島で実現を目指している。

 もしこれほど土壌条件が違い、気候が違うところで実現できれば、日本のほとんどの地域で可能だと言うことだ。今ならまだ耕作放棄地がいくらでもある。水の手に入る場所を見付けて、田んぼを始めることだ。分からないことがあれば相談に乗る。

 食べるものさえあれば、後は何とかなる。これからの日本は自分で食料を作る以外に安心できない、自助の国になる。35年前にあしがら農の会を始めたときにはまだ先のことだと考えていたのだが、食糧危機の時代がついにそこまで来た。今、食糧自給を始めれば何とかなる。

 機械など使わないでも田んぼは出来る。化石燃料なしでも自給農業は可能だ。脱穀と籾すりは機械があった方が良いが、無くとも出来ないわけではない。伝統農業では機械など無くともやってきたことだ。石垣島ののぼたん農園ではその体験が始まっている。誰にでも出来ることなのだ。

 技術さえあれば、72歳の私の体力でも十分に可能なことだ。中学生から80歳ぐらいまでなら何とかなる自給農業である。家族で協力が出来れば、仲間でやれば、楽しい農業の範囲で食糧自給は可能なのだ。食べるものさえあれば、後は何とか生き延る事ができる。

 一日1時間食糧自給に当てればいい。まとめてであれば、週に一日食糧自給の日を設ければ良い。土曜か、日曜日かを食料生産の日にすれば、田んぼならば何とかなる。田んぼほど生産効率の良い主食作物はない。水が農作業の大変さを補ってくれる。

 だから中国は4000年の循環農業で古代文明が継続されたのだ。日本では縄文晩期から稲作が続いている。トウモロコシの文化も、麦の文化も、タロイモの文化も、継続が出来なかった。田んぼという水を利用した農業は永続性のあるものなのだ。

 田んぼは耕作することで土壌を育むことが出来る。田んぼの中で肥料を生産しながら、お米を収穫することが出来る。肥料を生産しながら、収穫をえることができるという、素晴らしい農業が稲作農業なのだ。自給稲作を始めることで、経済危機が来る中いき残ることが出来るはずだ。

 石垣島であれば、60坪の田んぼでお米を作れば、200キロのお米を得ることができる。40坪の畑では大豆ジャガイモ玉ねぎなど常備野菜を作る。これで味噌醤油は確保できる。大豆がない間は野菜を作る。これで食糧の自給が達成できる。これが100坪の自給である。

 
 

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