トゥーラバーマ大会開催
月が雲から出てきた。
石垣は夏の終わりである。トゥーラバーマ大会開催された。今年は開催できないだろうと言われていたのだが、いろいろ対策を取って開催になった。市長が実行委員長の催し物なので、今回コロナ感染がなければ、様々な集まりは再開すると言うことになのだろう。
石垣島では豊年祭が中止、ハーリー競走が中止、アンガマが中止、伝統的な催しがすべて中止だった。何か石垣島らしくなかった。トゥーラバーマ大会も中止と言われてはいたのだが、何とか開催された。久しぶりに石垣島らしさを感じた。
事前登録で見ることが出来た。見たところ例年の3分の1位の人は集まっていた。16組が予選を勝ち抜いて、出場した。例年は決戦大会でも25組くらいはいたのではなかったか。参加者のレベルも私には例年より少し下がったのではないかと感じた。最優秀賞受賞者はいなかった。
家から座椅子を抱えてのんびりと出かけた。歩いて5分ぐらいの新栄公園で開催だ。早く着きすぎと思ったのだが、すでに沢山の人が、座っていた。5メートルの4角の中に5名までと言うことだった。整理券は前もってすべて出たと言うアナウンスがあった。当日来た入りきれない人が、柵の外の方にもかなりいたようだ。
夏の最後の、大月夜である。もの悲しいトゥーラバーマの唄の響きが心に染みるようになる。昨年と少し違う気分で聞いたのは、コロナ自粛のためなのか、あるいは石垣島に暮らすようになって、この唄の気分が前よりは感じられるようになったと言うことなのか。
今年の歌詞賞では同じ字石垣に住まわれている女性の私と同年配の方が受賞された。いつか歌詞を応募してみたいものだ。味噌造りをやっていて、麹造りを夜中にひとりでしているときに、なんと辛いことが起こる世の中だと泣けてくる。けれども、負けて成るものか。と唄われた詩ということだ。
ああ、石垣島でも熱心な味噌造りがある。暑い土地では麹造りは温度が下がらず大変だろうが、湿度は問題が無いなどと、麹造り好きとして思った。石垣島の味噌の味は未だになじめない。やっぱり味噌は小田原の3年物がいい。などと勝手なことも思った。味噌は手前味噌。
空模様は大月が見え隠れする絶好の演出。月のかいしゃの歌詞が出た途端に雲が切れた。一度は満天の星の夜空になる。風がふくと肌寒い。この気温で寒いと感じるのでは小田原ではもう寒さ対策をしなければならない。稲刈りにすぐに小田原に行く。
中学生2年坊がなんと奨励賞。高校生も2名出場。若者の間にトゥーラバーマ大会に出ようという機運があるようだ。なんともすばらしい。だから勉強がだめなんだという、人もきっといるだろうが、東大に行くよりトゥーラバーマ大会優勝の方が尊敬される石垣島である。
昨日は大浜さんと言われる、カヨ子さんの師匠の仲間一堂と並んで聞かせていただいた。例年勝手な感想をあれこれ言いながらの楽しみであるが、今年は余計なことは言えなかった。ただ私が一番良かったと感じた、穏やかだが安定した歌声だった女性が優秀賞だったのは、一致した。
一番すごかったのは高校生の女性が、感情過多気味に泣きそうに歌い上げた人がいた。確かにトゥーラバーマは泣ける唄なのだが、唄う側が泣いてしまうと伝わらないかな。などと思ったら、審査員長の総評では、すごい声量で良いのだが、金切り声は良くないと言うことだった。
女性の高音が金切り声にな場合は八重山民謡では多い。これはたぶん、男性が唄う唄だからだ。昔は女性は唄わないものだったらしい。そもそも、トゥーラバーマは男と女が掛け合いで唄う。こうした仕組みのめずらしい民謡である。主旋律を男性が歌う。それに併せる女性のかけ声が入るところが又良いのだ。すごい高音であるが、金切り声ではなく、もの悲しげな声が良いと思う。
こうして男女の掛け合いで出来上がっている民謡をあえて女性も歌うようになったのだが。その女性初の最優秀賞受賞者が高校生時代の金城弘美さんである。毎年司会として会を進めている。金城さんはCDなども出されている石垣島の代表的歌手である。オリジナル曲の唄と、民謡を唄うときでは少し声の出し方が違う。
金城さんの唄は時々聞かせて貰う機会があるが、なんと言っても人柄が唄に出ている。人間がすばらしい方に違いない。石垣サンサンラジオでも、番組を持っている。自分のままに唄うとすれば、すばらしい人でなければ、唄を聴きたいなど思わないだろう。
金城さんの唄は民謡もオリジナル曲も、どちらも良いのだが、やはりその人の声で歌うという唄い方が好きだ。普段の声が唄になる。その人の人間の表現になるものが良いと言うことではないか。私絵画と相通ずるものが有ると思っている。どこまでその人の深い悲しみに至るか。これがトゥーラバーマの魅力ではないか。
息子さんを無くされた方が、作られた詩が佳作賞であった。新しい仏壇を見ると涙が出る。遊んでいる孫を見ると涙が止まらないという詩である。こうした作詞で受賞された六曲を、過去の最優秀賞を受賞された方が、唄われた。
すばらしいのは当然であるが、うまいという以前に、実に個性的なのだ。その人になっている。息子さんを無くされた方は、舞台の上で涙が止まらなかった。思わず、会場全体が鎮魂の気持ちに包まれた。息子さんは八重山高校の先生であったそうだ。生きると言うことはなんと無情のことか。
来年も石垣島でトゥーラバーマ大会を聞きたいものである。この後例年ら、アートホテルで歴代最優秀者の記念の会があるのだが、今年はたぶん開かれないことだろう。もしあれば是非行きたいものだ。
唄の島、石垣島。唄が暮らしの中でどのような意味を持つものなのか。毎年何千のトゥーラバーマが新作されている。トゥーラバーマは今に生きている民謡なのだ。暮らしを豊かなものにするのが八重山民謡なのだ。私の絵にも八重山民謡が聞こえてくるようになれば良いのだが。
トゥーラバーマの約束事はシマムニで作ることである。八重山方言シマムニで作らなければならない。これだけは決まっている。石垣島で描く絵が、シマムニの絵になればすごいことだ。土の匂いがすると言うが、石垣の匂いがする絵にいつかなるだろうか。