軍隊ではない安全保障に変わる。
東京のコロナの感染の拡大が止まらない。死者数はかろうじて抑えられている。すごい医療現場の努力なのだと思う。日本の安全保障の最前線は医療関係者だった。不足する医療資材の中、感染の危険の中で努力に頭が下がる。
人口過密地域の感染拡大は都市封鎖をするしか納まらないのかもしれない。そして、今回の感染症が治まったとしても、必ず次のさらに深刻なウイルスの感染が起こるはずである。そのことに早急に備えなければならない。緊急に行うべきことは都市機能の分散である。
もし、東京が武漢市のような都市封鎖になれば、日本は崩壊につながりかねない。中国にとって、感染拡大が北京や上海でなかったことは不幸中の幸いであった。最悪の場合、今回のウイルスはある程度の弱者と老人の死を覚悟すれば、何とか東京を封鎖せずとも乗り切ることは出来るだろう。
死者を覚悟しなければならない状況とは、人工呼吸器を老人には使えなくなると言うことだろう。70歳以上の人は人工呼吸器を遠慮して貰うというような政治判断が出来るのだろうか。それが日本という国家の生き残る道だと言うことで、そういうことの選択が必要になる可能性すらある。
私自身も老人として切りすれられれば、日本の崩壊にはつながることはないと自覚している。そういうことを考えている人害なければ国家の安全保障はない。老人は10数年で死ぬ人のことだ。しかも働くことも出来ない。割り切ラザルエナイ事態だって想定しなければならない。若い人が死ぬよりは私であろう。
今回はそれでいいとしても、ウイルスによっては若い人から死ぬウイルスもある。そうなれば日本の存続すら危うくなる。今回こそ次の事態に備えなければならない。東日本大震災とそれに伴う原発の事故の時も、抜本的な循環型のエネルギー社会への転換は行われずにここまで来てしまった。
今回の新型コロナウイルスも、2、3年もして収まれば何事もなかったごとく対策など考えないことだろう。日本人の悪い性格である。敗戦すら忘れた。原発事故ですら忘れた。コロナも忘れるだろう。忘れてはいけないこともあると言うことに気付かない国。
今回の政府のコロナ対応をみると、対応の場当たり的なことはひどすぎることである。感染症の専門家による災害対策とは到底言えない。病気に対して政治家が対策を練るようなことではない。ウイルスとの戦争だというのであれば、その専門家が当たらなければ、ウイルスの殲滅など不可能であろう。台湾、韓国、中国、とそれぞれの形でウイルスに対抗し、成功を収めた。日本との違いはITに関する全体のレベルが高いことだ。日本もここから学び次に備えなければならないだろう。
ウイルス戦争の専門家である。防衛省にはそういう研究をしている人は居ないようだ。一体日本の防衛省は、時代おくれの軍事力消費団体になっているのではないのか。アメリカが買えという武力購入団体では日本の防衛にはならない。アベ氏の言うところのウイルスとの戦争に役立たない無駄な防衛省である。
防衛省は今からでも変わらなければならない。まず東京に防衛省を置いておくのは最悪である。何故都市機能の分散が出来ないのだろうか。すぐ困ったことを忘れるからに違いない。岩手県が良いかもしれない。特別な防衛意識があるのかもしれない。
岩洞湖当たりにあればいいだろう。すばらしい広大な場所に人が少ない。こういうことを書くと、防衛省をないがしろにしていると思う人が居るのだろうが、東京に居るとエライと思うような感覚が、すでに無用化している。東京を分散することが日本の防衛なのだ。当たり前すぎることだ。ペンタゴンも大統領府もニューヨークから離れている。
重症者に対する器具の不足、人員の不足。病院の不足。これは必ず備えなければ、国防とは言えないだろう。次の戦争も、外国軍が攻めてくるのではなく、新型ウイルスの襲来である。自衛隊は国土防衛隊になり、医療班を数百倍の能力に高める必要がある。
東京における重症患者の受け入れ能力が不足している。死ぬほどではない人は、隔離だけで仕方がないが、重症化した人は酸素吸入等の手立てを徹底しなければならない。東京の人口であれば、石垣に3床用意されていたとすれば、1000床の準備がなければならない。石垣島では3床を急遽9床の準備を整えた。東京を3000床に変えることは出来ないだろう。
一極集中ほど、感染症には弱い。次の戦争はウイルスゲリラかもしれない。感染した人が敵国に紛れ込むテロだ。対応は都市機能の分散であろう。一都市がやられても、機能が止まらない社会の構造を造る必要がある。
それは地方の消滅を食い止めることにもなる。江戸時代の藩制度の見直し。最近このことを時々目にするが、江戸時代は発展するのでなく、現状を維持するための優れた仕組みを作り出している。
冷静に考えれば、外国の攻撃よりも次のウイルスの攻撃の方が、間違いない現実である。中国はイタリアの要請により、医療班をイタリアに送った。世界中に中国以外にはイタリアを助けるだけの余裕がなかったのだ。これはまさに、友好親善であり、戦争の回避である。
もし日本にそうした医療隊の準備があれば、武力的な整備よりもはるかに実際的な国民の命を守る安全保障になるだろう。日本で備えていて、世界の医療部隊になる。これは新しい力であろう。平和主義の防衛力であろう。防衛省予算のすべてを医療部隊に向ければ出来る話だ。
台湾は200万枚のマスクを援助してくれた。台湾だって余っているわけではない。石垣市には友好都市である宣蘭から援助があった。この緊急事態に助けてくれた。これで医療関係者のマスク不足の緊急事態はいくらかしのげる。台湾の方に足を向けて寝ちゃダメだ。
台湾の人の温かさに目頭が熱くなる。生きているうちには台湾の方々にかならず、恩返しをするつもりだ。東日本大震災の時も大きな支援をしてくれた。日本人であれば、この恩を忘れてはならないと思う。台湾のために出来ることがあれば何かしたいと心より思うっている。
早く石垣にも台湾から遊びに来れるようになって欲しい。そのときには台湾の人の石垣案内を買って出たいものだ。台湾の人が来れるようになるときに親切な中国語の石垣島案内を作り、配るようにでもしようかと思っている。南山舎か松田良孝氏にでも相談してみようかと思う。
日本は台湾の国際社会への復帰のための努力をしたらどうか。確かに、中国との関係は悪くなる。第3の道を探る努力だ。対立ではなく、中国と台湾の歩み寄り出来る関係を、日本も含めて探せないだろうか。そうしたことの実現が出来れば、日本の安全保障にもつながる。
東アジア全体の友好関係の構築の中で、日韓関係の改善も。北朝鮮の安全保障も含めて解決の道は探る。このきっかけを新型コロナウイルスが教えてくれているのではないか。災いを福に転ずる方角である。
日本と台湾の間では戦争は起きない。友好関係とは人間同士の心の通い合いである。日本が近隣諸国の困難に協力して手助けできる国になることが、一番の安全保障である。