三線の日石垣県体育館大合同演奏会
始まる前の会場の様子。
3月4日は三線の日である。石垣では県体育館で大合同演奏会があった。石垣暮らしでは、毎日何か面白そうなことがある。全く飽きることがない。昨夜は200人くらいの人が集まって演奏をした。昨年は400人だから、半減したわけである。少しマンネリになっているのかもしれない。三線の日は始まって30年にもなるそうだ。石垣では19回目ということである。お年寄りばかりという訳でもない。小学生も30人くらいいて、最初に3曲演奏を聴かせてくれた。各流派にも若い人もたくさん見えていた。流派5つあるようだ。八重山古典民謡の方が一番多いようである。今回、写真の手前の後ろにおられる太鼓の方の演奏に驚いた。何気なさの素晴らしい太鼓であった。
石垣の三線の日は去年に引き続き参加したが、今年は2階の観客席で演奏した。下に加えてもらうには、ちょっとレベルが低すぎるので。それでも真似事で一緒に演奏できたのは愉快だった。演奏する曲は毎年同じなので、来年は下で加わりたいとも思うが、一番左の看板に一般というのがあった。誰一人いなかった。あそこに座るべきなのだろうが、さすがにそれは無理だ。別段観客席で演奏に加わってもいけないわけではないだろう。理由はもう一つある。正座での演奏も無理だ。何しろ2時間の大演奏会を大半の方が正座で演奏されている。八重山での三線との向かい合い方が垣間見える。ただこのテイゲェーでない格式のようなものが、八重山の別の顔である。沖縄というと、熱帯的でなんくるないさ、てぇーげー、てぇーげー。というようなことになるが、実はそうではない一面がある。
皆さん「あいさつ」にとても凝る。三線の日の祝辞や挨拶がとても本気である。何しろ一晩寝ずに考えてきたとわざわざ断って語り始めた、閉会の辞であった。話でその人間を軽重が問われる。竣工式で私のあいさつが終わったら、さっそく評価がされていて驚いた。遠慮くなく採点を口にするところが、八重山流でもある。人間の付き合いというものが生きている。人一人一人を表現されたもので判断して付き合う。ここに様々な人がないまぜになりながら生きてきた石垣島の歴史から来ているのではないだろうか。顔色を見るという日本的なあいまいさとは少し違う。石垣は本土からも、本島からも、先島の様々な島からも、そして台湾から、中国から、朝鮮から、多くの人がやってきて暮らしている。今はヨーロッパの人。アメリカの人、中南米と思われる人。街では観光客と見える様々な人が歩いている。それは小田原よりかなり多国籍的である。
三線と石垣的と言えば、大合同演奏会である。本島の三線の日は読谷村で行われるのだが、ここでは唄者が順番に歌い踊る。そして観衆が聞く。これではつまらない、みんなで演奏しようではないかというのが、八重山流である。優れた人の演奏を聴くというより、みんなで合奏しようというところに素晴らしさがある。またそうでなければならなかった八重山民謡の歴史がある。歌は大工さんの者でもなければ、ビギンのものでもない。大島さんのものでもない。個人のものではなく、地域地域の唄である。この当たり前に唄おうという心が素晴らしい。フランスで歌を歌うとなったら、合唱がすぐ始まりハーモニーを作る。それぞれがパーツを受け持ち全体性を作る。八重山ではみんなが等しく、うまいも下手も並んで演奏をしながら、唄う。全体で一つの唄となり、大きな体育館の中に一つのつながる世界が生まれる。私も何とか三線を続けたい。そんな風に思う日であった。