年賀状制作

   

 

富士山の年賀状を連続的に365枚描いた。葛飾北斎的におもしろいと思ったからだ。山梨生まれなので、富士山は特別な思いがある。富士山を続けて描いている内に絵を描いているというより、字を書いて居るような気持になった。富士山は記号になる。聖なる山という、日本の絵柄の意味論。富士急ハイランドに富士美術館がある。富士山を描いた絵だけが集められている。その中で素晴らしい富士山の絵が3点あった。先ず第一は須田剋太の富士。これは絵画がやるべきことを指し示している点で天下一品である。富士との向かい合い方がすごい。こんな絵との向かい合い方で描いてみたいものだ。つくづく思った。そしてつぎは梅原龍三郎。これもさすがに良かった。すごい絵描き魂である。金箔の上に顔彩で描いているようであるが、とても苦労しているようにも見える。しかし、このいい加減なようで、自由な世界が、素晴らしい。苦労が出ているような絵はダメだというが、苦労して描いて、苦労が出て何が悪いのかと梅原の絵が言っている。その人のままであることが素晴らしい。良い絵を描こうなどみじんもない。そういうちっちゃな世界を超えている。少し恥ずかしくなった。

そしてもう一枚と思った絵が、実は映像であったのだ。その日は空の重い日であった。にもかかわらず富士山だけはすっきりと見えるという、不思議な天候の日だった。その富士の映像が、だまし絵のように、絵の続きで並んでいた。誰の絵だろうと、しばらく見とれていた。富士をリアルに描く人が、最近は山のようにいるが、さすがにこの絵は群を抜いて凄い絵がある。ハッと動く空を見て、絵ではないという衝撃。ライブ映像である。現実を映像でとらえたのであれば、絵画は映像にかなう訳がない。よく美術館で、順番に見ていて、窓枠に区切られた外の樹木が見えたとたん、今までの絵は何だったのかということになる。現実というものには譲れない真実ある。映像以上の富士を描くという事は、自分の眼で見た富士である。自分の人間が富士にどのように対峙するかである。富士という記号を、人間としてどのように扱うかである。これが絵を描く面白さだ。お陰様で良い教訓を頂いた。それにしても、この美術館リアル絵画に恨みでもあるのだろうか。あるいは学芸員のパフォーマンスなのか。

会場の最後に、杉田明維子さんの絵があった。久しぶりに杉田さんらしい絵で懐かしかった。どうされているのだろうか。本人にお会いしたような気分でつい挨拶をした。もっと驚いたのは杉田さんのお嬢さんの絵が行儀よく並んであったことだ。初めて見せて頂いた。絵を描かれているという事は聞いていたが、お父さんは彫刻をされているし、お母さんは絵を描く。そして驚くなかれ、お嬢さんは絵と木彫を併せたような平面作品だった。これでお父さんの富士山の彫刻があるとどうなるのだろう。自分の絵を描く途中で人の絵を見たことは、ちょっとどうかと思ったのだが、あまり関係がなかった。私の描く絵は富士山を描いているのであって、絵というものとは関係がないようだ。この富士山がどうすれば、自分の描いている紙の上に来るのか。そればかりである。それがよさそうな絵になるという事とは関係がない。と言って梅原の様な凄まじい絵にはならないのは、私の人間の未熟である。ますますそうなってきている。未熟な奴は未熟な絵で終わるのか。それとも絵を描く修業でもう少しましになるのか。

365枚も描いたのは、年賀状と引っ越し案内に使おうと思ったからだ。石垣島に行くという事を、富士山の見える生まれ故郷から描いて見ようと考えた。ほぼ10日間ぐらい描き続けた。少し富士山という字の作りが見えてきたような気がした。土という字を書くときに、中央の縦に引く線を、下から上に書く書家がいた。地面というものは突き抜けてくる力があると言っていた。この考えはとても良い。富士山は茶碗を伏せたような山だが、空に向って突き抜けている。地面から立ち上がっている。この力を見なければ意味がない。それは空という空間に突き抜ける。この宇宙という空間が見えないと始まらない。というような偉そうな気分ではあるが、実は何も見えないし、わからないまま描いていた。それはそれで仕方がない。見えないでボーとして書いているという自分であることを自覚して描いた。いつもの「ダメでもいいじゃん。」で描いた。それでもなかなか面白かった。

 

 - 水彩画