100歳の健康法
腸にいる微生物が人間の調整をしている。こういうことはほぼ共通認識になってきた。その微生物は人間の細胞の数より多いと言われている。という事は人間は微生物の塊が中心でそれに依存して存在する寄生生物と言えるかもしれない。そう考えると愉快だ。細胞は日々生まれ変わっている。微生物も日々生まれ変わっている。昨日の私は今日の私ではない。良い自分になりうる可能性が開けている。微生物は生まれ変わりながら、その傾向は引き継いでゆく。細胞も同じで変異を起こせば、病気という事になる。大きな変化が起きない様に調整してゆくことになる。100歳を生きる時代と言われている。腸、腿、心の3拍子が揃えば、100歳は確実なことになる。腸を鍛えるのは、発酵食。腿を鍛えるのは、日常生活。心を鍛えるのはなかなか難しい。私の場合は絵を描くことになる。
歩くという事が健康には重要である。これもほぼ共通認識である。それは腿の重要性だ。腿が人間の体温調整をしている。これは私の推測。発酵には温度が重要である。経験的にそう考えるようになったのは、腿を温めるとか、腿を冷やすという事が、体調の変化をきたすという経験からだ。足を冷やしてはならないという意見がある。それは腿の調整のように考えた方がいい。足が冷えると腿も冷える。腿の先に足があるのだから当然である。足先が冷えるというのは結果論なのだ。腿を健全にすることを考えた方がいい。よい腿を作ることが健康な体には重要な要素になる。だから歩くことが大切になる。私は歩数計で4か月ほど記録してみたが、平均で1万1千歩である。2万歩を超えたことは過去4回ぐらい。最小が6000歩ぐらいである。自給農業者はだいたいこんな具合だ。腿は現状では年齢の割には良い状態である。体脂肪は10%。内臓脂肪が5%。有酸素運動レベル64。安静時心拍数平均58。
腸の方の注目点は、ウンコとオシッコである。排泄物は、食べ物のカスではない。食べたものが吸収しきれないから、廃棄物となって押し出されるという流れではない。内観法の結果なので、人様の身体は違うかもしれないので注意事項。食べたものの大半は一度身体が吸収する。そして、身体が不要となった廃棄物を、ウンコ、オシッコとして廃棄すると考えている。もちろん食べたもので消化されきれないものがウンコになるという側面もある。そんなものはごくごくわずかな異物である。全体から言えば、微生物や微生物の廃棄物、そして微生物の死骸。この方が量は多い。それくらい腸では微生物が吸収の手助けをしてくれている。だから、体内から絞り出された排泄物で健康の確認をする必要がある。微生物の活動状態は一番よく分かる。オシッコも同じだ。飲んだ水を必要な分だけ吸収して、その残りが排泄物として出てくるというのではない。腸の中の状態をよく保つためには水分量が重要である。それは発酵を考えれば、かなり厳密な数値で温度と水分量が影響する。
腸と腿よりも健康に重要な機関が人間にはある。心である。心がかなりの部分を調整している。脳というより心と言った方が良い。心と言っても心臓ではない。気持ちの方である。病は気からというが、気が衰えれば身体などひとたまりもない。だから、100歳まで生きると決めた。その前提で考えた方がマシだ。前向きな気持ちを持つ。これは意志的なものだ。信念でも良い。その為には目標がなければならない。これをやり遂げるためには健康を害することはできないという決意である。この気で体内の状態も違ってくる。この気を発するのは脳である。脳トレなどというボケ防止があるようだが、あんなもので脳の活力増加は期待できない。気を強めるためには、頭を活発に使うというようなことではない。丹田を鍛えるという事に近い。いざという時に動じないような気力を充実させてゆく。まあ、そこが修行である。生きることに真剣に向かい合うという事になる。私には絵を描くことになる。心を強めるというより、深くしてゆく。奥底まで知ること。分かればだいぶ違うと思うのだ。