石垣島引っ越し2

   

引っ越しが済んでさぞやすっきりしたかと言うと、まだそこまで進んでいない。石垣への引っ越しは長期戦である。昨日は有明のフェリー基地まで自動車を運んだ。初めてのことでなかなかわかりずらかった。電話番号で入れたナビに従っていたら、なんと江戸川区役所という訳の分からないところに到着してしまった。そこからまたやり直しで、家から3時間もかかってしまった。最初から有明フェリー乗り場でナビに入れればよかった。東西海運という会社で探していたことが間違いだったようだ。場所を一時的に借りているという事なのだろうか。結局捜し歩いて、たどり着いた場所は入り口のそばだった。でもグルグル回っている間に、有明という港の様子が分かり面白い経験だった。都営の港のようだ。豊洲市場の周辺は工事中ばかりだった。車の輸送で心配だったのは荷物を車の中に置けるのかどうかだ。ネット情報では車に荷物を満杯にして送ったというのもあった。心配なので、控えめに座席の影位に載せておいた。一応保証は出来ないよという事で通過させてもらえた。将来もう一度引っ越しをするとすれば、石垣行きのコンテナを自分で借りることができないかである。コンテナの場所まで、レンタカーで荷物を運び、コンテナに自分で入れる。これが出来れば引っ越しも格安である。

家の方は荷物が減って、やっと人間が暮らせる家レベルかといえば、そうでもない。何しろ冷蔵庫がいまだ4台もあり、使っている。ごみ屋敷というより、お化け屋敷だ。冷蔵庫は捨てたことがないから、こういう事態になった。つまり今回石垣で購入した冷蔵庫は過去40年で5台目という事になる。1台10年間使用は普通レベルではないか。冷蔵庫というものは当たり前だが温度調整可能になっている。15度に設定すれば、お米や小麦の保存庫に適している。一般のお米の保存庫よりも断熱性が高いから、電気代はあまりかからない。15度に設定する方法は以前書いたが、要するに温度センサーを冷蔵庫内に付けて、それをコンセントの間に付けるだけだ。こんな利用の仕方をするから、冷蔵庫が捨てられないで溜まってゆき味噌部屋になる。古い冷蔵庫はもう40年前のものだから、これは電気は入れずに、ただの保存庫として使い分けている。ジャガイモや小麦粉など入れてある。自給農家というものは食糧保存が重要になる。そいういう事で冷蔵庫は捨てられないが始まり、4台の悲しい状況になっている。現役冷蔵庫は一台である。

整理をして、一人暮らし状態になんとかする。そこまで片づけないとどうにも落ち着かない。石垣に行くまでに後4日しかない。帰って来た時に、そのまま一人暮らしが出来るようにして出かけたい。試験勉強の前には机の片づけから始まる性格。食事関係はそのままいける。ずいぶん石垣の家に台所関係のものは送ったつもりだが、最小限の台所には程遠い。保存ガラス瓶が26個出てきた。これは早急になんとかしなければならない。ずいぶんいろいろを漬け込んできたものだ。増える一方であった。これからは漬け込まないから、中が空になれば捨てるだけである。何しろ漬け込んだからと言って、時間をかけ熟成したころに食べる当てがない。お酢でも、味噌でも、醤油でも何時まで作ればいいのか。梅酒だけで、まだ一升瓶で20本はある。あと一年で飲み切るつもりだ。先日東京から運んできた、40年物の梅酒を飲んだ。美酒であった。保存が良かったのだと思う。洗濯機は2台あったから、一台は残した。洗濯はやっていなかったので、昨日練習してみた。何とか出来そうである。

石垣に荷物が付くのが15日になる。14日の午後には石垣港に車は到着する。この車を引き取り、引っ越し荷物の受け入れ準備をする。インターネット接続など、予測がつかない要素がある。石垣のドコモショップがもう一つ状態だった。インターネットのプロのはずが、もう一つ情報が鮮明でない。テレビは9月から新しい方式に変わったらしく、調べていた私の方が詳しかった。エディオンという大きな電気屋さんがあり、価格も小田原と変わらない。テレビやエアコンはここで購入したのだが、ここでもテレビの受信について、良く分かっていなかった。私が間違っているのかもしれないので、正直接続するまで不安がある。前回行ったときにお願いした畳屋さんに沖縄イグサの畳を取りに行く。畳ベット用である。玉那覇酒造さんで玉の露 金 の古酒を壺に入れてもらう。引っ越し記念である。一斗壺なので、これを毎年飲んだだけ継ぎ足して行こうと考えている。

 

 

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