石垣、小田原の二地域居住
私は70歳からは石垣島での暮らしを中心にするつもりでいる。70歳からは絵に専念しようと考えているからだ。石垣島が田んぼの絵を描くには最高の場所だと考えている。それなら石垣を中心に暮らした方が良いと思うようになった。しかし、あしがら平野で行ってきた農の会の活動はどうなるのだろうかと思う。それもあって小田原の家はそのまま何とか維持しようと考えている。あしがら農の会にとってうまく利用できる可能性があるのではないかと思う。30年間自給農業とあしがら農の会のことをやってきた。農の会という形が、未来社会の受け皿の自給農になればと思うからだ。自給農は日本の安全保障になる。世界の方角は競争主義が広がり、差別と、格差と、独善が広がる。その中で個人の生き方の自由の確立するためには、自立するほかない。食べ物さえ自分で確保できれば、ある程度自由に生きることができる。人一人は100坪の土地と、一日1時間の労働で、食糧自給が出来る。この実践をなんとか未来社会に残したい。
世界が独善的資本主義に進み始めている。世の中は競争主義が徹底してきた。競争から外れれば敗者という扱いになる。そんなつまらない価値観から飛躍するために農の会の形に可能性があるのではないか。それぞれが個性ある自分の人生を自由にしかも豊かに生きるための、自給農という生き方があると提案したい。格差がより強くなる社会の中で、心の通じ合う仲間を見つけられる場が必要だ。自立して生きようと考える人はどちらかと言えば、社会性に乏しい。だから共同で農業を行うという事が難しい。一人でやりたいという人間が普通である。能力が高く一人で出来る人はそれでよい。しかし、一人ではできない人の為に、手を貸す生き方があっても良い。それが農の会なのではないかと思っている。技術もそうだ。体力もそうだ。機械についてもそうだ。協働が可能なら、自給農に取り組める人が増える。その為に小田原の家は使えないかと考えている。これは欲なのだろう。私が死ねば私はそれで終わりであることは分かっている。後のことまで期待するのは欲なのだろう。
幸い農の会のこれまでの活動は、未来につながる可能性を見せていると思う。70歳からの自分が、農の会の今後の活動の遠くから支援が出来ればと考えている。先ずはその為に今住んでいる小田原の家を、来年からは農の会の家にしようと考えている。割合広い家である。人が集まることも可能だ。私の部屋を一室だけ作りたいと考えている。一部屋が小田原にあれば、石垣から戻った時に使う事が出来る。ギャラリーやその他の部屋はそのまま利用できるだろう。問題はこの家の管理をどのようにできるかである。太陽光発電をシステムを併設している。この設置した費用は2020年で回収できる。毎月10万前後の収入がある。壊れるまではこの収入をこの家の管理資金に利用してもらえればと考えている。機械小屋を家の方に移動することになる。機械小屋と宿泊施設と集会場と駐車場があれば、つぎに自給農業に興味を持ち集まる人たちで、新しい活動を繋げてくれる可能になるのではないだろうか。この家に住んで、農の会の活動を繋げてみたいという人は居ないものだろうか。
石垣の家は11月にはできる。11月7日が引っ越しの日だ。石垣設計からの報告では順調に進んでいるという事だ。今度の家はアトリエだけの家だ。石垣で絵を描く暮らしに徹することも楽しみである。石垣と小田原間の交通費は時期を選ばなければ1万円である。4時間である。それほどの負担なく、行き来するつもりである。自分が動ける間は農の会の活動の手助けが出来ればと考えている。水彩人のことでも、東京に出ることは年5,6回はあるだろう。絵を語る会は続けてゆきたいと考えている。これは小田原にいる今と変えないつもりだ。今年も地方展が名古屋であるが、名古屋に行くのであれば、石垣も小田原も変わらない。田植えとか稲刈りには小田原に戻りたい。欠ノ上田んぼの準会員ぐらいのかかわりが維持できれば、と考えている。イメージとしては都会に出た息子が農繁期に手伝いに戻ってくるような感じではないだろうか。と言っても息子ではなく、老人である。あくまで農作業に役立つうちのことだろう。この間に何とか新しい農の会の活動が定着してくれれば、本望だと思う。