平成天皇の退位
平成天皇は来年4月30日に退位することが決まっている。平成天皇は象徴天皇の意味を確立しようとした人である。権力にならない象徴であるとの意味をどのように確立するかに苦心した。それは政治利用されない存在としての象徴と考えても良いのであろう。権力は常に天皇を政治利用しようとする。そう考えておかなければならない。権力を持たない天皇とは江戸時代の様な立場であろう。明治政府の帝国主義が天皇を権力として利用した。こうした利用の仕方は天皇というものの本質をないがしろにする、日本という国柄として誤った天皇の扱いだと思う。天皇というものを武力の最高権力に崇めるなどという事は、あってはならないことだ。まず、この明治政府の作り上げた帝国主義天皇という幻影を払しょくすることが、象徴天皇を考える上での重要な視点になる。いまだ、天皇を明治帝国主義と結びつけて考える、ゆがんだ天皇主義者がいる。特に天皇を政治利用しようとする人間にはその傾向が強いので、注意しなければならない。
日本という国柄においては、天皇という存在は文化や伝統の継承者である。特に稲作文化を司る存在と考えていいのであろう。村の鎮守の五穀豊穣の神官の元締めの様な存在である。稲作の水土を束ねる渡来技術の統括者でもある。さらに日本古来の民俗的信仰の継承者でもある。古代においては、先端技術は呪術的要素とないまぜなところがあり、呪術的なままに、科学的でもある。瑞穂の国としての日本国が形成される過程では天皇という存在が、武力ではなく技術として、そして信仰として、文化として、日本国を統治していったのではないだろうか。武力ではなく、文化力や科学性において、国を統治したというところを深く思いを巡らさなければならない。平成天皇の示した、平和主義者象徴天皇の姿と重ね合される。天皇が平和主義を貫くこと以外に存在の確立はあり得なかったのである。この卓見は評価されなければならない。
私が天皇にこだわりがあるのは、イネ作りをしているからだ。共産主義的な考えを持つ私が天皇に興味を持ったのは、修学院離宮の造営という事を知ったからだ。栃木にあるアジア学園では山の斜面を利用して、循環し、その場で完結できるキリスト教的農場を作ろうとしていた。一番上に住まいを作り、そこで使う水を下の池にためる。下の池では養殖がおこなわれている。そしてその水がさらに下の田んぼを潤す。これは私が小さいながら、山北の自給生活で作り上げたものと同じであった。暮らしというものを突き詰めてゆく形に自分の生き方を重ね合わせようとした。生きるという事は循環の輪の中に自分を溶け込ましてゆくという事だと考えるようになった。その循環の輪の理想が、修学院離宮に重ね合された。そこから天皇の在り方に興味を持つようになった。日本国自体が、大きな循環の輪になる。世界全体が循環の輪になる。その循環の中に一人一人の暮らしが織り込まれる。この具現化が、修学院離宮ではないかと考えるようになった。
平成天皇の退位に伴い、天皇は京都に帰るべきだ。京都に戻り、象徴天皇としての在り方をさらに、高めることが日本の象徴になる。何故、政府が天皇を東京に止めるのかと言えば、それは明治政府が都合よく利用する意図と大きくは変わらない。現実政治に都合よく利用したいからだ。勲章と名誉で人を操る発想である。江戸時代の天皇家は京都にあった。徳川幕府は一定の距離を持ちながら、その存在を尊重した。そして、桂離宮や修学院離宮が造営されたのだ。京都において、神官として、文化人として、尊い存在として文化的な一つの核をなしていた。象徴天皇というものは、日本人を慰め、共感する存在である。喜びを分かち合い、悲しみを共有しやわらげる存在である。海外からの来賓を迎える役目もある。そうであるとすれば、どのように考えてたとしても、京都御所に暮らしていただく方が望ましいであろう。天皇を尊重するものが何故京都に戻ることを言わないのか不思議でならない。天皇主義者を名乗るも、実は天皇を利用したい帝国主義者に過ぎないのであろう。