絵の廃棄処分
また絵を焼却場に持って行った。軽トラ1台分で価格は3200円だった。2回目は4250円だった。これで7台捨てたことになる。額と古い絵を中心に廃棄した。倉庫だった部屋を片付けている。本当はさらに捨てなければならないのだが、まだ捨てられない絵が山ほどある。絵は最後は全て捨てるしかないのだが、まだ、1000枚は残っている。大変な量である。桐の引き出しに目いっぱい入っている。20年前はこの引き出しがすべて白紙の紙だったのだから、驚くべきことである。油絵は学生の時に描いた2枚、東京にいた頃描いたアクリル画が2枚。フランスにいた時のものはデッサンだけ残した。あとはすべて捨てた。捨てるのは辛いところもあるが、さっぱりもする。あと厄介なのは額縁だ。これも使わないものはどんどん捨てた。かなり高価な額もあるのだが、捨てる以外に方法がない。春日部先生から頂いた額もあるのだが、申し訳ないが捨てさせてもらう山に入れた。捨てる前に友人に相談したら、貰ってくれることになった。家まで車一杯にして持ってゆかせてもらった。額だけでは申し訳ないので、ベルギーの画布の良いものを残してあったのだが、それももらってもらった。
大きな絵はすべて捨てた。置いておく場所もないし。また絵も良くない。何故、あんな絵を描いて居たのだろうと見ると情けない限りだ。若い頃はまだよかったようだ。それが、日本に戻ったころからの20年は捨てる絵しか描いて居ない。今の自分が前に進んだから、昔の絵が碌なものがないと見えると思いたい。この進んだを進歩とも思わないが。ともかく、違うところに来たという事だけは分かる。自分の生きてきた痕跡という事だ。恥ずかしいものだ。自分の恥ずかしさとか、至らなさとか、分かっていないという姿が、はっきりと画面に残っている。恥げもなく個展を繰り返していたと思うと穴に入りたい。何もよく分からないくせに、分かったようなつもりで生きているという事だ。分かったようなつもりでなければ、絵は描けない。分からないままに絵を描くという事はできない。何かその時の思い込みが、その時の絵を描かせていたのだろう。もちろん今見えないこともあるのだろう。
絵にしたい、という気持ちが画面に出ているものは、正視に耐えない。絵にするという意図が災いしている。こういうものが絵だという意識が画格を落としている。3年後の70の時にはもう一度絵の廃棄をする。多分その時にはさらに残してある中判全紙の水彩画を1000枚から500枚への半分にするつもりだ。その後のことはまだわからないが、今ある1000枚は描き終わった絵というより、描いて居る途中の絵のような気分なのだ。出してみると描き継ぐべきところが見えることある。何処か描きかけのような状態。再度、描き継いでみて何かわかるものもある。1000枚の絵が次の絵の参考作品。その意味ではすべて廃棄すべきものかもしれない。安心とか、頼りとかいう場所があることは、絵を描くことに良い訳がない。それまでの自分を模写するようなことは無意味だ。
今までにずいぶんの絵を捨てたが、捨てて後悔したことはない。捨てないで残したことにがっかりして今回捨てた。自分が生きて、絵を描くという事に役立つものを残しているだけのことだ。死んだときにはすべて廃棄する。というか廃棄されるべき運命のものだ。未来に残すべき作品などというものは、まずはない。死ぬとわかったところですべてを誰にでも差し上げることにしたい。そして、残った絵は廃棄して終わりにする。今残してある1000枚の絵は見るともう一度書きたくなる絵だ。だから描きかけの絵ともいえる。まだ描けそうな絵だから捨てないで残してあるともいえる。本を整理しようと考えて、読みふけってしまうように、絵の整理をすると気づくことがある。それが次につながる。自分がいかに多くのことにとらわれて絵を描いているかに気づく。肝心のことだけを描けばいいのにと今回は痛感した。