麦茶が終わり、夏は行く。

   

8月が終わり麦茶が終わった。少しもの寂しい。夏もやっぱり終わるんだ。今年は毎日1リットルの麦茶を飲み続けた。毎朝起き抜けで作って冷蔵庫で冷やして飲んだ。畑に行くときにも飲んだ。ずいぶんと水分を取っていたことになる。一回の草刈り作業で体重は1キロ以上体重が減る。何キロ減るか草刈り前と草刈り後ではかってみた。そういうのが面白い。少なくとも1リットルの水分を取らないといけない。冷茶はおいしいのだが、飲みすぎると吐き気をもよおす。がぶがぶいくらでも飲むからそういう事になるのだろうが、夏でも冬でも飲める水分はいくらでも取るようにしている。そこで麦茶が一番良いという事になる。麦茶の作り方で以前も書いたが、2条大麦である。去年今年とまとめて炒ってみんなで分けた。半分は冷凍して於いて、半分使い終わってから取り出した。酸素を抜いて、冷凍しておけば味が落ちない。酸化され難いという事なのだろう。

麦茶の良さはおいしいぞという訳でもないところだ。俺はこんな味だと主張しない所が良い。だからどんな場面でも飲めるのも長所だ。カフェインがない飲み物しか午後からは飲めない。お茶を午後飲むことができない。夜眠れなくなるのだ。昼食でお茶を飲んでも昼寝は出来る。でも3時ごろ飲んだお茶で夜目が冴えてしまう。15年前までは全くそんなことはなかった。夜起きていたとしても全く構わない暮らしなのだが、やはり真夜中に起きていると、歳を取ったんだとしみじみと思う。いつ寝ていつ起きても構わないというのも変な感じだ。やはり、毎日く暮らしのリズムというか、8時に寝て、4時に起きるというのがどこか落ち着く。昼寝が出来る日は夏でも冬でも昼寝もするのだから、ずいぶん寝ていることになって、こんなに寝たことは若い頃はなかった。若い頃は起きていなければ人生を無駄にすると考えて、長く寝ても6時間ぐらいの暮らしだった。それで大丈夫だったわけではなく、いつも体調は悪く不健全なことだった。

夜は時々泡盛を飲む。泡盛のクウス、古酒を飲んでみる。あまりおいしいとも思わないところが良い。美味しいとは思わないのに飲みたくなる。酒好きでもないし、別段クウスの方がうまいというほど通ではない。それでもお酒が壺の中で時間をかけておいしくなってゆくという、お話が好きなのだ。それで、昨日よりおいしいかな。こっちの壺の方はどうだろうなどと、7つある壺のクウスを飲み比べる。アルコールが抜けて飲みやすくなるだけだろうという人がいたが、そうかもしれないが、そんなことを思うのはつまらない。壺の中でお酒がおいしく育つ。この時間を共にする感じが良いのだ。一番古いのは30年物がある。これに飲んだだけ足してゆくのだ。死ぬまでに飲み切るつもりで計算して溜めている。これがなかなか難しい。長生きしそうな気分の時にまた泡盛を足してしまう。新しい泡盛も、クウスに混ざり、年月を得たような味になるという。そんなはずはないなと思いながら、その物語の方を楽しんでいる。

備前焼の古色はもう一度焼けば元に戻ると言われた。なるほど、古色はつまり汚れか。クウスのおいしさは劣化か。汚れて美しなるのも良いし。劣化して美味くなるのもなかなかいいではないか。美味しいから麦茶と言っても、特別の味がある訳ではない。何でもないからつい飲みたくなる麦茶。麦茶が終わって夏が行く。夏が去るのが寂しくなるのは子供の頃も、67歳になった今も変わらない。祭りの後感がある。元気が出にくい。そこで、このところ甘酒を飲んでいる。これは夏の終わりに丁度良い飲み物である。甘酒は一度に大量に作り、ペットボトルに入れてやはり冷蔵庫に入れてある。これを水で3倍ぐらいに薄めて飲んでいる。夜は温めて飲む。これを飲んで朝起きれば大体元気回復である。麦茶から甘酒になって秋が来る。泡盛の方もそろそろお湯割りにしたくなる。

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