尖閣諸島問題
尖閣諸島の領海に中国船が繰り返し侵入する。この問題は日本が国際司法裁判所に提訴すべき問題である。この島を理由に日中関係が悪くなることは、両国の未来に禍根を残す。現在日本政府は尖閣諸島を実効支配している。実効支配している側から、領有権問題を提訴し解決することが大切である。中国政府が断るとは思われるが、まず日本が提訴することだ。日本政府がそれをしないという事は、国際司法裁判所の判断を畏れているからである。日本の領有権が認められないのではないかという、不安があるからだろう。正しい判断が必ずなされるとは言えないが、それでも判断を任せた方が良い。政府は公式見解として、日本の島をわざわざ問題にする必要がないという立場をとっている。しかし、中国はこの島を中国に領有権があるという理由で、軍事的行動すら辞さないだろう。竹島が韓国が領有権を主張し、軍隊が実効支配していることとよく似ている。これを日本政府は国際司法裁判所に提訴しようとするが、韓国が認めないという状態である。韓国も間違いなく領土だと考えているから、裁判など不要とする姿勢である。
こうした中で、南シナ海の島々の領有権問題が勃発した。中国が埋め立てをして、軍事基地の建設を始めたのだ。これは石原慎太郎グループが尖閣に施設を作れと主張していたところとよく似ている。力の論理で基地を作ってしまえば、国土として確保できるという発想である。実に愚かな武力主義である。中国はせっかく国力を高め、国際社会でも一定の評価を受ける国家になったにもかかわらず、こうした強引な武力的態度で、世界から浮き上がってきた。こんな対立的な態度をとらずとも、国家としての実力を高めて行けば、当然影響力は黙っていても高まる。中国が軍国主義的姿勢を強める態度の中に、むしろこの国の不安定さを感じざる得ないことになる。過去のロシアはそうであった。東ドイツや、ロシアが国家ぐるみのドーピングをしていたことが明らかになった。オリンピックで力を示すこと以外に、国家の力を示せる場がなかったのだ。それは国家としてゆがんだことだと誰にでもわかる。
中国は歴史上なかったほどに、短期間に高度成長をした。それは日本の高度成長期の倍以上の早さである。弥生時代の暮らしをしていた人が、高層ビルの中に紛れ込んだような状態である。誰もが不安定な心理状態にいる。社会的な歪みも、極端に広がっている。山積する社会的問題が高度成長の中で、巻き込まれ、混乱の渦の中に流れ込んでゆく。成長してゆくという力が矛盾をやっと抑え込んでいる。その最中にあるのが、現在の中国である。社会的矛盾を押し流すために、無理やりの成長の継続と、近隣諸国に対しての武力的な圧力を高めることになる。正常に、静かに物を考えることが出来なくなっていると見た方が良い。しかし、中国が世界の経済大国になることだけは確かだ。世界経済はそういう仕組みで出来ている。日本の一部には中国崩壊と喜び騒ぐ人たちがいるが、紆余曲折はあっても、中国は成長してゆく事だけは確かだ。このブログを書き始めた頃に書いた記憶があるのだが、日本は中国を中心とした、アジア経済圏を作ることだ。日本が中心にならない大東亜共栄圏である。
日本政府は、尖閣諸島を一日も早く、国際司法裁判所に提訴し、両国の間にあるとげを抜くべきだ。アベ政権はどこかに中国との対立を待っているところがある。日本の再軍備を計り、憲法改定を目論んでいる。武力主義の人間にとって、また、国際社会を競争だけでとらえる人間にとって、武力を持たない状況が不安過ぎるのだ。それはべ政権だけでなく、日本人にそうした空気が広がってきている。戦争の悲惨さを伝える大切さがあるが、そうならないためには武装しなければという感覚が産まれている。日本が再軍備したところで知れたものだ。それが核武装できない日本の宿命である。どのように戦争に進まないかは、日本独自の平和主義を打ち出すことが大切である。まず、平和主義を示す意味でも、尖閣問題を国際司法再場所に提訴すべきだ。