象徴天皇を考える。
天皇がビデオで象徴天皇に関しての自らの考えを表明した。憲法で決められた天皇を象徴とする意味をこれほど深く真剣に考えられていたのかと、自分のうかつさを思った。憲法をまっすぐに受け止め、憲法の考え方に沿って、平和主義日本における象徴としての天皇として、何ができるかを行動で示す生き方であったのかと感動すら覚えた。日本人はすべからく、天皇のように真摯に日本国憲法と向かい合うべきだったのだ。特にアベ政権のように、憲法を曲解するのは恥ずべきことである。憲法で示された象徴としての天皇の意味を正面から受け止めれば、生前退位が必要だという考えに至ったようだ。責任の大きさを考えれば、死ぬまでやり続けることは出来ない。
象徴天皇とはどういうものか。日本人としての伝統を体現する存在が象徴天皇の意味としている。そして、日本の隅々に暮らす市井の人をまんべんなく尋ねる、国民と共にある存在として行動してきた。その根底にある思想は瑞穂の国、美しい日本の天皇という水土の象徴であると、考えればいいのではないか。天皇の暮らしは伝統的日本人の暮らしである。芸術、学問に高い見識のある文化人である。稲作にかかわる神官としての日常である。天皇はむしろ静かに、自分の象徴としての役割を明確にしただけである。
天皇の日々の行動から、国民は認識しているべきことであった。天皇の戦地慰霊の訪問を天皇個人の資質として見ていたことはうかつだった。今までこれほど明確に象徴の意味が示されたことはなかったと思う。子供の頃象徴天皇とは何かという議論が起きたことを記憶している。しかし、象徴の意味が抽象的なとらえ方で、具体的にどういう行動であるべきという事はなかった。日本にとって、日本国憲法にとって、天皇の存在は象徴という意味は、憲法冒頭の重要事項である。その象徴の意味と役割は天皇自身が行動によって、明確にしてきたものであった。象徴という役割をこのように考えるとすれば、確かに天皇が80歳を超えて天皇の象徴としての公務を行うという事は無理だとは誰にでも理解できることだ。おのずと生前退位以外の選択はない。そう急に法律の整備を行ってもらいたいものだ。しかし、天皇がこのような発言をするまで、何も対応できなかったことは、国民全体が反省する必要がある。アベ政権は象徴を元首に変えようなどと、言葉を操る前に、すべきことがあったのだ。
注視しておかなければならない点は、この機会に天皇に関する憲法の規定をを変えようという動きが出ないようにすることである。また同時に女性天皇の問題も取り上げるなどという事をしないほうがいい。生前退位一点に絞り、一日も早い生前退位を実現することが、国民の役目である。あってはならないことは、天皇の政治利用である。政治利用すれば省庁の意味と価値が減じることになる。その意味では天皇は京都に戻る方が良い。東京を離れ、政治的権力とは全くの別物であることを明確にした方が良い。日本に天皇という存在があったことは幸いなことである。それは全く政治的なものではないという江戸時代の在り方に戻るべきなのだ。さらに古い時代の天皇家は、水土技術の先端技術を支配する存在であった。稲作を技術的にも、思想的にも熟成させ、瑞穂の国を武力的にではなく、思想的に、文化的に誘導した存在ではないかと考えている。日本の象徴という意味はそういう、日本文化の根本に戻るという事ではないか。
天皇の暮らし全体が、修学院離宮を形成した時代に戻るべきである。1655年江戸幕府の予算で、後水尾上皇が自ら指揮を執り作ったものとされている。そこにある思想は、日本の理想郷が表現されていると考えられる。水を中心とした庭園であるが、その池にため池であり、下の田んぼの用水である。日本の文化を形として表現したものだと思う。