絵を描く生活
お隣の田んぼの菜の花
絵は実際に画面に描いてみなければわからないことが多いい。また描くときにその描いている場所を見ないと、何を描いているのか見えないことがある。家のアトリエでは何も進まないことが、現場に行くとなんでもなく進むときがある。同時に現場にいてはわからないでいたことが、家に帰って初めてわかることも結構ある。絵を描く時は里地里山にある、永遠の空気のようなものを画面に表そうと考えている。その表わすべき空気を探して、あちこちへ行く。あそこならと目星をつけている場所がある。石垣島にもあるし、下田にもある。山梨の生まれたあたりにもある。私のやっている田んぼにも少し見えることがある。篠窪や沼代にもそうらしい感じがあるので、繰り返し描いている。その空気のある場に入り込み、その空気に向い描いてみる。無心と言えるような状態でただ描く。今のところ、そのやり方が一番そこにあるの空気に迫れるような気がしている。何故、永遠を感じるような空気が特定の所にだけあるのか。これは妄想なのかと思う事もある。幻覚を描こうとしているので描けないのかもしれない。
同じ場所を繰り返し描いているので、書道のように書くべき字が分かっていることに近い。書を行う時に、字は分かっているけれど、間違った字になる事がある。自分の名前を間違う時すらある。必ず、鉛筆でどういう字を書くかを書いてそばに置いておく。そうでないと、書こうとしている字が分からなくなる。「薔薇」とかいう字ならともかく。「花」と書こうとして字が分からなくなる。風景を描くときもそんな感じがある。みて描いている訳ではないようなのだが、目の前にないと間違う。何も花という字を知らない訳ではないが、字を書くという頭の中の回路と、書を描く回路では働く脳の場所が違う。絵を描く脳の回路は、筋道が立たない回路なのだ。理解していることを再現するのではなく、未知の映像を創造しようとする脳の回路を働かせる。絵を創造しようとする回路では記憶のようなものは消えるようだ。だから、いつも描く場所なのに、分かっている場所なのに、初めて描く場所のようだ。
生きるという事は、日々やってみなければわからない、未知の世界へ踏み込むことだ。それは若い時だけではない。70までの3年最後の新たな気持ちで農的な生活に挑戦しようと考えている。これは未知のことだ。やってみたことのない世界だ。67歳からの自給生活の世界は、どんな驚きと充実があるのか、今の今もわくわく感がある。当たり前だが初めてで最後のことだ。この後の3年は私の自給生活の総括になる。まだ体はある程度は動く、自給農をやる程度ならば十分である。蓄積した知識や観察力はそれなりにある。田んぼでも畑でも、自分なりの技術になってきているつもりだ。呼吸を整えて3年を過ごしてみたいと思っている。運よくこのままの暮らしが続けば、その過程は少しづつ記録はしたいと思う。人に伝えるほど価値があるのかどうかは分からないが、伝統農業は間違いなく急速に失われるだろう。また伝統農業の実践家は記録をほとんど残していない。その意味では多少価値はあるかもしれない。
永遠の空気感を描くという事は、農地のある風景に豊穣感を感じるからだ。生きるための食べものが自然と融合する場所で成長している姿。ここに人間が生きるというものを感ずる。実に具体的にこうやって人間が生きているという事をこの空気感が示している。それは大自然でもなく、工場でもない。自然と人間が手入れを通して作り出した里地里山の環境である。それを自分自身が自給生活を30年やってきて、初めて実感したものだ。当たり前の普通の人間である自分がたまたま、自給自足生活をしたおかげで見えてきた世界だ。その上に自分は絵を子供の頃から好きで描いて居た。自分以外には興味も持てないだろうし、見えることもないだろう。この豊穣の農地を私なりに描きとめることを役割にしたいと考えている。あと何年描けるか先のことは分からないが、10年以上はかかるだろう。もし10年やれたら幸せなことだ。