石垣島で考えたこと

      2016/04/19

沖縄上空から

大浦湾付近と思われる。

石垣からの帰り道は、沖縄本島の上空を通る。那覇付近から北上して、やんばる上空を抜ける。月間琉球という冊子がある。10月号は八重山の特集であった。中身の深い文章が満載だつた。八重山合衆国という言葉があるそうだ。あちこちから移り住む人がいて、八重山の島々が一つの合衆国として独立しているという見方である。それくらい、宮古島と石垣島とは人が違う。そのことにはびっくりしてここにも書いたのだが、その理由が少しわかった。石垣の方によると、宮古の人は見ればわかるとはっきりと言われた。この明確な意思表示が石垣の人の特徴をなしている。宮古の人は石垣の人は見ればわかるなどとは言わないに違いない。八重山諸島が国境の島だという事がわかる。明確に意思表示をしなければ、分かってもらえない環境が石垣島にはあったのだろう。日本人の特徴とされる曖昧さのようなものがないのが、八重山の人々のように思う。そこが八重山の心地よいところなのではないだろうか。

石垣島には自衛隊の基地が予定されている。石垣島の島民の意思を確認する直接投票をすべきである。基地は日本本土を守るために、八重山諸島に犠牲を強いることになる。それを石垣島を守るための基地だと現地では説明をしている。基地がない方が石垣島が安全なことは、当たり前すぎる。それを国防は国の専権事項だから、石垣の島民は口をはさんではならないとするのではひど過ぎないか。石垣の自衛隊基地は中国を対象としたものではないと説明している。何というひどい欺瞞であろうか。米軍が沖縄から引き上げる可能性が出てきている。そこで、八重山諸島にも基地を作り、アメリカ軍にも自由に使ってもらえるようにするので、なにとぞ米軍様沖縄にいてください。というのがアベ政治ではないかと、考えている。沖縄差別がまた行われている。

辺野古の米軍基地は米軍が占領時代に計画していたものだ。日本を守るためと口先では述べるが、実はアメリカの世界戦略の一環から出たものなのだ。アメリカ国内に基地を置いておけばいいものの、米軍基地を沖縄に置いておくことで、アメリカ本土の安全を計ろうとしたのだ。この構図は、日本本土を守るために、沖縄に基地を置こうとする安倍政権と同じ発想である。結局弱いところに犠牲を強いるのが、軍事基地と考えた方が良い。出先が先制攻撃でやられている時間稼ぎである。戦争になれば一番最初に攻撃を受けるのが軍事施設である。それは、シリアやイラクで行われている空爆を見れば明らかなことだ。わざわざ住民を狙って殺戮することはない。その度に誤爆だったと説明している。しかし、軍事基地があれば、周辺住民が巻き添えを食う可能性が大きくなる。誤爆も起こりやすいことだろう。ミサイルの精度など知れている。

基地が一旦出来れば全てが闇の中である。沖縄に原爆が存在しても、明らかにはならない。すべて軍事機密という事になる。沖縄に基地を集中させておけば、日本本土の安全は高まる。アメリカ本土の安全も確保できる。沖縄さえ犠牲になってくれれば、それでいいと言うのが、政府の考えと言わざる得ない。米軍基地を減少させ、その分自衛隊の基地の拡張を図る。建前はそうであるが、それは自衛隊基地を日米同盟の下に、自由に使わせるという肩代わりである。いまさら米軍基地を作れない以上、自衛隊基地を作ることで埋め合わせをしようという事に違いない。何とも怖ろしいことである。どうしても基地を必要とするというのであれば、無数に存在する日本近海の無人島に作ればいい。無人島に暮らす、自衛隊員も可哀想ではあるが、沖縄住民の犠牲の上に成り立つ日本の安全というのでは、つじつまが合わないであろう。

 - Peace Cafe