人口減少の顕著化
外国人を含む日本の総人口は1億2711万47人と、10年の前回調査に比べ94万7305人(0.7%)減少した。国勢調査で総人口が減るのは1920年の調査開始以来、初めて。大阪府が68年ぶりに減少するなど39道府県で人口が減り、東京圏への一極集中が進んでいる。
日本の人口は21世紀に入り減少局面に入った。人口が減少するのは、子供の出生率が下がったためである。乳幼児の死亡率の高かった時代、人類は生き残りの手段として、子供をたくさん産んだ。人類は最近まで5人ぐらいの子供の出産がなければ、子孫が死に絶える可能性があった。野生動物であれば子供が10%程度の生き残りしか考えられないものが多いい。その種が生き残るためには、100とか1000の子孫がなければ、現状維持ができない。人間も寿命が全うできることはすくなかった。医療の進歩、食糧事情の改善などで、生存率は急激に高まり、人口爆発が起きた。所が昔からの慣習が残っている間は子供は産めるだけ産まなければ安心できない思いがあり、乳幼児死亡率が下がった地域から人口の爆発が始まった。しかし、先進国から順番に、子供は死なないという事が受け入れられ、たくさんの子供を出産する必要がなくなる。そこで人口減少が先進国から始まった。
人口ピラミットという事が小学生の頃には教科書にあり、健全な人口構成という事になっていた。現在の健全な人口構成は東京タワーのような形なのだろう。何処の国も人口爆発が鎮まる過程で、日本のような紡錘形を一度は経験しなければならないが、この急場を乗り切ることが重要なのであって、人口をどう増やすのかというような事を考えるのは、馬鹿げたことなのだ。日本という国土にふさわしい人口はせいぜい6000万くらいのものだろう。人口を増やそうと考える政策は、産めよ増やせよという軍国主義時代の国威発揚の標語と何ら変わらない。軍が企業に代わり、企業の考える消費者が減る事を良くないこととしている悪影響なのだ。政府が人口増加を政策にするのは間違った選択である。あまりに急激な減少が社会にひずみを生むことはある。そのひずみに良い対応を考える事が政策として重要なことになる。
日本という国土に適正に暮らすには、せいぜい6000万人から、7000万人であろう。食糧自給率がよくそのことを表している。食糧を自給できる人口が日本の適正人口である。それでも江戸時代の倍の人口である。江戸時代より2倍の生産性になったと考えればその通りである。このまま50年減少が続いてやっとその適正人口に近づくことなると思われる。50年間辛いかもしれないが、産めよ増やせよと馬鹿な政策の結果だから、乗り切るしかない。今でも、大半の地方自治体が人口増加を打ち出している。これは政治の先見の明のなさの表れである。人口増加策をうたわなければ選挙に勝てないと政治家は考えている。人口増加の中で生き延びてきた有権者も、何とか人口増加で地方の活性化をと期待している。そうした間違った未来予測が、地方の衰退をさらに深刻化している。
人口減少の状態を考えれば地方社会こそすでにその適正人口の時代に入っていると思われる。地方消滅ではなく、少ない人口でどのように暮らすかこそ、重要な選択になる。近代科学の成果を十分に取り入れた、新しい自給型社会の建設。農地と住宅の合理的配置、必要な交通網、都市と変わらない通信の充実を行う。医療教育の、距離を克服する手段の検討。人口減少は素晴らしい未来社会可能性である。少子高齢化は一時の困難である。未来社会では競争から充実して生きる生き方への転換が進むはずである。競争の弊害の方が深刻化して、離脱しようという生き方が徐々に増えだすはずだ。その受け皿として、地方社会こそ重要になるだろう。中途半端にできもしない、第2、第3の東京型を目指していれば、魅力のない地域になり寂れるばかりである。その土地に根差した、自給的社会を構築することである。