何故フィリピンの農民と競争しなければいけないのか。
TPPが今年は進むと思わなければならない。アベ政権としては、国際競争力のある農業を農家に無理強いしようという事だ。農業以外の産業が国際競争力で頑張る中、農業も事業として競争しろという事のようだ。このままでは日本経済が後れを取って日本全体が貧乏になり、後進国になってしまうぞという脅しである。久野で農業を始めた若い家族がいる。彼らはフィリピンの僻地で有機農業の支援事業にかかわった。久野に戻ってくる前に、フィリピンの農業者が一緒に久野に来てくれた。とても優秀なインテリばかりで、実に驚いた。お互い大いに有機農業で頑張りましょうという事で、意気投合した。しかし、そのフィリピンの農業者と競争して勝てというのが、安倍政権の方針なのだ。私は嫌だ。農業者同士は助け合い、支え合う仲間であって、フィリピンの農業の友は商売敵ではない。
国際競争力のある企業的農業はプランテーション農業の復活ともいえる。本来克服しなければならない農業に戻れという主張だ。農業生産は気候や土壌に支配されるものだ。熱帯地域でお茶の栽培を行い、ヨーロッパに輸出する。熱帯地域を植民地にして、その地域の住民を奴隷労働力として利用する形である。それが一番競争力のある農業形態なのだ。その結果地域の歴史的な暮らし方は失われ、土地も住民も疲弊し使い捨てにされる。その土地の文化も根こそぎ消滅させられる。この植民地主義の背景にある帝国主義が、軍国主義と結びつき世界大戦を繰り返した。その反省から、帝国主義は否定され、奴隷を使うプランテーション農業も克服されつつある。自由競争という美名の下で、地域を外国資本が支配する形での農産物の競争は否定されたものだ。その一方で農業が技術革新され、大規模農業が誕生した。農産物を輸出産業とする国が現れる。その結果、やっと再生を始めた世界の地域農業を、自由競争の正義という論理で再度追いやろうとしている。
食べ物は国の最も基本になるものだ。本来、食糧を自給することが健全な国家の成り立ちの要素と言ってもいい。外国と比較して割高であるからと言って、それは様々な要因に基づく理由のあることだ。日本で言えば、瑞穂の国としての国土を育むことは、経済活動を超えたものなのだ。お祭りが無駄だからやめろという事が馬鹿げているように、日本の中山間地から棚田を奪うことは、日本を止めろという事になる。それはフィリピンでも同じことだ。世界遺産の棚田を残すためには、国際競争力という価値観は場違いなだけなのだ。人間が幸せに生きるという事が目標なのであって、お金を稼ぐという事はあくまでそのための手段なのだ。お金を稼ぐために、文化を捨ててしまえ。その国の国柄まで捨ててしまえ、というのが国際競争力ある農業だ。食糧生産力をない国が国家として成り立たなくなる。それがプランテーション農業という帝国主義で起きた悲惨な結果だった。また、その再現をしようというのが、TPPなのだ。
インドネシアで農業支援を行う方から、自然養鶏の質問が何度かあった。私の養鶏がもし、そのインドネシアの農民と競争しなければならないなら、何という悲しいことになるのか。農業は地域自給で行かなればならない。国際競争力で途上国をつぶすことは、世界の格差の拡大に加担するだけになる。アメリカが食糧輸出国であるがために、世界に育ち始めている地域農業の形を崩壊させ手も構わないと考えている。それが能力主義の正義だ。TPPでは日本までその加担をさせられようとしている。日本の中山間地農業が追いやられるのは第一歩である。農業以外に産業のない国にとって、農業をつぶされることは、国家の成り立ちを否定されることになる。日本はアジアの伝統農業の国として、他国に迷惑をかけない道を選ばなければならない。