絵が変わるという事

   

去年は絵の描き方の変わり目に来た特別な年だった。あっという間の一年というような、感慨と同時に長かった特別な一年という気がしている。転換期というか、現役を退いたつもりが、新しい絵の描き方に入ったというような感じがする。絵はなくてもいいようなものであるからこそ、命に代えるようなかけがえのないものになりえる所が面白い。なくてもいいものであるからこそ、何よりも尊いものになりえるのだと思う。坊さんが座禅をするなどというのは、全く世間ではどうでもいいことだろう。何も生み出さないし、他人には関係のないことだ。せいぜい葬式をやってくれるくらいの価値を見る。ところがえらい坊さんにお会いするという事は、すごいものをいただいたという感じになる。そのすごいものを作り出しているのが、全く無駄であるからこそ意味のある座禅ではないかと思う。絵も応接間のお飾りなら役には立つが、というようなことを今年もまず確認して始める。

麦畑で働く人としてその1年完結し、終わる一年ではあるが、何らかの働く人のコンセキを残す事も意味があるかもしれないと、いうところに絵がある。自分の描く絵が欲から抜け出たものになれば、思い残すことはない。高僧がその人間の何かを残してくれるというものが墨で描いた丸であったりする。あの墨蹟に何かの意味があるとすればそれは周囲の者にはよすがになったのであろう。でもあれでは嫌らしいだろう。もっと暮らす人の正面から、瑞穂の国の4000年の歴史の何かを、絵に描いてみたいと考えた一年だった。そういうことは絵ではないという気持ちは今もある。何かの目的を持った途端に、絵ではなくなる。という思いを一方に引きずりながらである。すっきり割り切れるわけもなかったが。絵画を作るという感覚から抜け出ようとした一年だった。いつの間にか絵を面白くしようとはしていない自分が絵を描いている。これは後退だと言われたところでもあるのだが。

里山風景を描いている。具体的には東洋4000年の永続農業の世界を描き留めたいと考えた一年だった。まだまだであるが、方角は見えてきたのかもしれない。方角を定めるという事は、いろいろ捨てることのようだ。無価値なことをしていられるようになった一年ということかもしれない。それが老人力というやつかもしれない。私の場合、それを自給力と呼ぶことにしている。人と比べない事になって初めて出てくる力である。自分の生きているという暮らしの活力から、自分が発生させる力。自給を初めて30年になろうとしている。何とか70歳まではこのままやれればと考えている。あと4年である。しばらくは自給のできる年齢というのを確かめてみたい。私のように39歳になるまで農業をやるとは考えてもいなかった人間が、中途から初めて年を取ってどうなるかを確かめたい。39歳の時になって、開墾生活を始めてみた。この後は自分の結果を確かめておきたい。

三線を始めた一年であった。三線の工芸品としての魅力から入ったのだが、唄三線という事で、大きな声を出して歌うようになった。67の手習いである。新しいことを始めるのに、年齢はないという事は絵でいつも見てきたことだった。楽しめるところまで行けばと思ったのだが、9か月たってすでに三線を弾いて楽しめるようだ。思い切って初めて見てよかった。手が硬くなる。声は出にくくなる。上手くなることはたぶんないだろうが、別段絵と同じだと思う。自分であることで自分が楽しめるとすれば、有難いことだ。声を出すことはいいようだ。三線の音色の素晴らしさはわかるようになった。絵を描くことはまだ楽しめるわけではない。見えていることが絵にできない、という苦しさからはまだ抜けられない。絵にするという習い性が、絵にならないことを嫌がるような困った感触である。三線の楽しさが、絵の方に来ないかなという甘い期待もある。

 

 - 水彩画