玄関の書初め
正月飾りをした玄関。シーサーが上に掛けてある。カヨ子さんが沖縄で作ったもの。正月飾りや彫刻はすべてカヨ子さんの作ったもの。藁は山田錦の150センチの長い藁である。左側には蔓に絡まれてよく見えないが、春日部先生に頂いた木版の魚がある。右にある表札は、越してきたときに作ったが、字が今より若い。
玄関前には3つの甕が並べてある。他に置く場所もないという事もあるが、玄関で見えた人を甕が迎えているというのもいいかと思って。
玄関を中から見たところ。猫の像や、犬の頭の像がある。三毛猫のルルが出かけるところ。
入ったところの厚いテーブルにテラコッタの猫。隅には一斗甕がある。奥がギャラリーだ。1斗甕と絵が少し見える。
正月書いた立春大吉の書初め。少し右下がりになっている。入って左側である。柿渋の結城紬の手織りの素晴らしい布である。下には猫の木彫。柿渋と墨の色とは実によく合う。書いたばかりなのに100年の時間が籠る。正月には書初めをして、張り出すという事は、毎年やる。例年2日なのだが。今年はなぜか元旦からやりたくなった。柿渋染めの布を見ているうちに我慢ならなくなってしまった。上手くも味がある字でもない。自分の字である所に満足している。
玄関の右側の飾り棚は元下駄箱だった。昨日飾った書初めの、「 南海晴 北山雲 」 禅寺の前などに、南山起雲北山下雨などと板が掲げてあったらしい。南山雲北山雨というようなものもある。私勝手に小田原の久野らしく、少し南の相模湾は輝いている。北の明星山は雲だ。という風に変えてみた。その日の天気を示すことで、自分の位置を示すというような気分である。始まりと最後では字の大きさが倍も違う。字を書いているときは何も考えないので、こういうことは良く起こる。山というような簡単な字ですら、どう書くのだったか分からなくなってしまうので、必ず鉛筆で下書きをする。鉛筆の下書きは中川一政氏の字を見てからやるようになった。今回は脇の紙の下書きを見ながら書いた。バランスが時としてはおかしいかもしれないが、描いたものとしてはこれもまたいい。多分字がわからなくなるのは、書を書くとき絵を描くときの脳になるのだろう。字を理解する脳とは違うところで描いているので、字の記憶が消え去るようだ。
前にある赤い実は頂いた千両の正月飾り。ブロンズの猫が右にいる。左には雷田の頭。白い紙に書いてあるのは、稲わらで描いた「あしがら農の会 笹村農鶏園」稲わら筆というものがあるのかどうか知らないが、とても面白い字になる。案外長持ちするもので、10年前に作った筆で前にこれは書いた。今回、玄関を記録しておくつもりもなかったのだが、書初めの写真を撮っているうちに、ついついこうなってしまった。