2016年を迎えて
「庭の畑:冬」中判全紙
2016年あけましておめでとうございます。
元旦という事で、毎年のことなのだが、今年の自分の行く先を書き止める。すぐに何を書いたかは忘れてしまうが、ときどき読み返してそうだったと思い返している。昨年の元旦に書いたものを読み返してみると、ずいぶん肩に力が入っている。おおむねその通りにやろうとはしたが、出来たことも、できなかったこともある。絵はかなり方角を変えることができたようだ。自給農業の方は相変わらずとりとめもない。また、今年の3月で地域での役目が公民館長を最後にすっかり終わる。あとは義理を欠いてやってゆこうと思っている。やっと来たという感じである。これだけやらしてもらったのだから、役目は済んだと思う。あとは許してもらうほかない。地域というものが崩壊し、修復不可能という気がしている。ここまで来てしまった以上地域社会ではなく、目的別の仲間でやることが有効だと思う。
絵の方はやっと里地里山を描くという事になった。自分がやってきたことを思えば当然のような気がする。今思えば絵画という観念を抜け出ることにずいぶんかかったという気がする。肩の力を抜くのにそれだけの時間が必要だったのかもしれない。人間の暮らしと自然との折り合い方の様なものを描こう。新年の挨拶に載せた絵の写真は、ある家の畑の庭である。ずいぶん描かせてていただいた。描かせていただく許可をいただいている。ずいぶん厚かましいことだがどうしても描きたいものでお願いしたのだ。ある半島の台地の上にある家だ。海のすぐ傍であるが、それなりに平地があって、1反ぐらいの面積の庭の畑。自給の畑に違いなのいのだが、確かに畑なのだが、お花畑の様でもある。特にネギ科の様々な花が植えられている。季節にごとに色とりどりのネギ坊主がある。その配置がまた見事で、ただ乱雑のようであるし、畑なりの合理性もある。こうした暮らしが現れた場所を描いてみたいのだ。記録してみたいという事の方が正確かもしれない。
里地里山というものは、日本人が何千年かけて作り出した暮らし方だったのだろう。自然を大きく変えることなく、永続できる暮らし方を模索し続けた結果が里地である。その暮らしの具体的な有り方の方も自給農業として、記録してゆきたい。自給農業のハウツウもののようにまとめるという事もあるのだろうが、当面出来る限り私のやっている現実の記録を続けて行こうと思う。まとめるという事はまた別にしておく。いくらか役に立てばといいいと考えて書き止めている。と言って突然、この GOOブログというもの自体が消えてしまっても困る。無料で使わせてもらっているだけなのだから、消えてしまっても仕方がないと思うが。江戸時代の地域自給というものは、極めて洗練された世界的に見ても高レベルのものだと思う。それには遠く及ばないが、私なりに現代の科学的成果を加えて、仲間で助け合いながらならば何とか回ってゆく自給農業である。日本の民俗学が奇跡的に失われる寸前に間に合ったように、失われてゆく自給農業の最後を記録する役割もあるのではなかろうか。
水彩人の事務所の方は大切な2年目である。この一年で次に受け渡せるように仕組みを整理しなければならない。担当制の着実な実施である。私の絵は水彩人の中で、少しづつ自分の本当のところに近づいてきたと考えている。もし水彩人がなければ、どんな観念的な絵を描いていたか恐ろしいくらいである。普通の人間が自分の絵を模索して描く為には、本音で話せる絵の仲間が必要だ。水彩画というものが、私絵画にふさわしい方法であること考えるようになったのは、水彩人があったからだ。先日ある同人が、水彩人は絵が下手だからという意見を聞いたと憤慨していた。私は憤慨する必要はないと思う。「下手は絵の内、上手いは絵の外」この言葉通りだと思う。大事なところは、上手いを評価しない心である。自分の心に映る世界を絵に描こうとすれば、ただのきれいごとには終われるはずがない。それだからこそ私絵画ではないか。「思い通りにならない日は、あしたがんばろう」と365日の紙飛行機では歌っている。今日できない、でも明日こそ、いつでもそういうものは残っていていいのだ。