辺野古移転以外にないのか。
沖縄県と国の対立が正面衝突になってきた。国と地方自治体が行政訴訟で戦う。沖縄への米軍基地の集中に県民の怒りが沸騰している。国は国防上の問題は国の専権事項だから口を出すなと撥ねつけている。問題の核心は辺野古が唯一つの普天間基地の移転先だという国の判断が、正しい判断かどうかである。もし唯一だというなら、その理由をもう一度わかりやすく国民に説明してもらいたい。普天間の危険除去は強調するが、何故他に移転先がないのかの理由が不明瞭だ。距離的に中国に近いなどということは、理由にはならない。アメリカの戦略として、沖縄に基地を集中させることが、重要という認識があることは確かだ。韓国や、フィリピンでは同盟国としてもう一つ頼りないということだろう。日本はアメリカの属国のように、アメリカの言いなりである。それが今度の安保法案の無理強いとなっている。憲法の解釈を異常ともいえる拡大解釈をしてまで、アメリカの要請にこたえようとしているのが、日本政府である。
そうした日本のアメリカ依存の軍事戦略の結果が、辺野古移転の流れを作ったのではないか。こうした成り行き政治では、米軍基地を集中させている沖縄に対する配慮が足りないのではないか。アメリカ軍は日本の安保法案の成立を待って、いよいよ中国との対立を高めた。今ならば、日本の協力を得て、中国の拡張主義を抑え込めると考えたのだろう。力の対立である。日本がこの中国との対立に、正面から向かい合わざる得ない状況に立った。安保法案の不安がすでにこうして現実化してきている。本来であれば日本はアジアの一員として、アジアにおいてEUのような経済統合を目指すことが正しい選択である。軍事的な野心を抜きに東アジアの共同体構想こそ、日本が求めるものであるはずだ。世界が一つになることが最終目標であるとしても、現状では各地域での連帯の探求をまず求めることが大切だ。なぜ日本がアメリカに従属する道を選ぶのか。そこに辺野古を唯一とせざる得ない問題がある。
原因は文化より、経済を優先するからではないのか。日本の文化は、中国の文化の影響によって、出来上がったものだ。このことは恥じることではない。むしろ日本的に深める形に、より深い充実を感じる。絵画においても、中国から学んだとしても、雪舟の時代であっても中国より、深い日本的精神の表現に到達していると考える。東アジア4000年の永続農業においてもまさにそのことを考えさせられる。中国という先進文化を、良い距離で受け入れて日本的に醸成させたために、世界でも特徴のある魅力的な文化が形成されたのだろう。しかも日本という島国において、稲作を集落ごとの共同体として暮らしてきた。そうした人の生き方は、稲作を行った地域では共通であったのであろう。フランスにいた時、フランス人の表情は読めなかったが、中国に行くと中国人の考えていることは表情で分かる。なるほど日本人は東洋人だと自覚した。
経済がすべてに優先されるがために、日本はアメリカを選択している。そのためにアメリカの言いなりになって、沖縄を犠牲にしてもかまわないということになるのではないか。先進経済国の優先権として、アメリカと連合してその既得権を守りたいという思いがある。中国や韓国が経済成長して、いまや日本より格付けの高い国になった。そこに日本人の焦りと不安がある。不安がアメリカ依存の結果になる。出る杭をたたこうという意識がアメリカと一致したということなのだろう。しかし、歴史に学ぶとすれば、アジアでの対立に欧米を巻き込むという構図はいかにも過去の間違いを学んでいない。沖縄に基地を集中させようというアメリカの戦略に対して、日本政府が沖縄県に本気で配慮するところがあるなら、第3の道を見つけることは可能なはずだ。攻撃を受けた時に、一極集中は好ましい訳がない。