結果にコミットする。

   

「結果にコミットする。」はテレビコマーシャルである。広告批評があれば必ず話題にされただろう物だ。結果保証なら当たり前になる。結果に関係する。結果につながっている。結果に連動するではよく分からない。結果にかかわりあうではさらにわからない。結果委任ではおかしくなる。たぶん意味としては、ダイエットに対して責任を持って取り組む。あるいはダイエットを確約する。というような意味なのだろう。そういうニュアンスをひっくるめて、「コミットする。」と表現したところが俊逸である。実は私の自給農業も、結果にコミットするものを目指している。様々な農法が存在するが、農業は結果だと考えている。捕れなければ食べない覚悟で作っている。虫で全滅してもいいと言うようなものではない。同時に働きづめでなければ、食糧が確保できないというのも困る。100坪の土地で一日一時間の労働で、一人の食糧を確保するという、結果にコミットしていなければならないと考えてきたのだ。

テレビコマーシャルの健康食品は結果にコミットしていない。ダイエット食品も結果にコミットしていない。結果が悪ければ、成果が現れなければ、本人の自己責任ということになる。人間の体というものは多種多様で状況も様々で、どんなに気おつけても、寿命は人の運命だ。結果にコミットしていない。結果が出なければ料金返還ということがうたい文句だ。良く内容は知らないが、訴訟で敗訴したくらいだから、条件はあるのだろう。全く努力しない人では結果が出ないのは当たり前だろう。言われた通り出来るかどうかが問題で、どうすればいいのかの道筋がわかっているから、言われる通り実践すれば結果が出るということを、意味しているはずだ。すべてのことはそうだ。そうではあるがそれが難しいというのが現実である。その現実を、大半の人に可能にしてあげようという、痛いところを突いたコマーシャルである。

自給農業もやってみれば、誰にもできるということにならない。結果にコミットしていない。コミットさせたいので、出来る限り分かりやすく簡単なものにしたいと考えてきた。根本から言えば、自然環境により違い過ぎる。南極で出来るかと言えば、出来るわけがない。北海道で出来るかと言えば、やったことがないからわからない。少なくとも倍の面積が必要になるだろう。労働時間も毎日1時間30分ぐらいになるだろう。つまり、小田原なら出来るという話しになるが、山北の標高350メートルのところで可能だったのだから、日本のかなりの場所で可能だと思う。そして肝心なことは、能力である。能力がなければできない。能力の一番は見る眼である。その時々の状況を判断する能力だ。ここで難しくなってしまう。多くの農業を志す人を見てきたが、私以上の能力の人が10人中2人ぐらいいる。私は10人の3番目ぐらいにいる。簡単に言えば明日の天気が判断できる人だ。正直に言えば、半分くらいの人には自給農業は無理なものだと思う。

向き不向きはある。江戸時代であれば、10人中8人くらいは自給農業は可能だったのだろう。天気予報でも情報が莫大に増えた。判断はかなり楽になった。便利な農業機械がずいぶん増えた。体力の不足もカバーされる。こうした情報の記録も簡単にできるようになった。情報の収集も誰にでもできる。様々な近代的科学の成果で人間的能力の衰退が補われている。それでも肝心な自然を見る眼の衰えは、深刻なものがある。農業に必要な明日の天気は江戸時代の人の方が判断できたと思う。そこで、自給農業で結果にコミット出来る人は、50%としなければならない。これでは宣伝にならない。私は宣伝はいらないのでいいのだが。ライザックでボディービルダーのようにコミットした人は、何パーセントぐらいなのだろう。どうせコミットするなら、寿命を10年コミットの医師の方が頼りになる。

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