杭打ち偽装に見える企業のモラル低下

   

お金を儲けられるということが、すべての価値に優先してしまうという、企業の競争社会が深刻化している。フォルクスワーゲン社のまさかドイツの会社がこんなことをという、排気ガス偽装が起きた。日本でも旭化成建材というところが、土台の杭を偽装していた。そういえば、東洋ゴムでは免震ゴムの偽装というのがあった。どの場合も物を作る基本に当たる部分の偽装である。人の命にかかわる偽装が平然とおこなわれている。競争社会の行き着くところを示しているのだろう。大半の企業の人間は、まじめに働いている。しかし悪貨は良貨を駆逐する。フォルクスワーゲン社はこの偽装で世界1の企業になった。金もうけにだけに専念していれば、モラルを失った人間が登場する。何のために家を作るのかと言えば、そこに住む人の幸せのために、良い暮らしのために家を作る。みんなで家を作った時代の家づくりはそういうものだった。ところが金を儲けるために家づくりをやるようになる。物を作るという精神の崩壊が起き始めているのだ。

東芝では利益を上げろという上司の指示で、担当部署が不正会計処理を行った。社員は何が悪かったのかわからないのではなかろうか。利益を上げるということを、卑しいことだとするのが、江戸時代のモラルである。儒教の影響もあるのだろうが、中国社会の汚職体質を考えれば、むしろ日本人の特性だったのではなかろうか。稲作を中心に安定化した社会が続けば、誰かが特別な利益を上げるということは、好ましいことではない社会である。互いに平たく助け合わなければ、成立しない社会。その意味では武士も百姓も胸像していた社会である。士農工商というように、商人を金もうけする人間として、下の階級に考えようとした。現実には江戸時代の階級制度というのは、外国での階級社会とは違っていたと考えるが、それでも金儲けをすることを、立派なこととは考えなかったことは確かだ。お金より大切なことがあるという言葉はまだ生きているが。どうもお金より大切なことを見失っている社会ではなかろうか。

グローバル企業の問題がある。フォルクスワーゲン社が排ガスを装置をごまかしていた問題では、フォルクスワーゲン社はその後大した影響を受けていない。結局排ガスデーターをごまかす装置を開発してから、一気に世界のトップに躍り出たのだ。企業としてはよくやったということだろう。ばれたからまずかっただけのことだ。マンションが傾いたのは、想定外の地震が起きたからだろう。もしこれが直下型でみんなが傾くほどの地震であれば、これまた問題にならなかっただろう。一棟独立して立っていれば、気づかなかっただろう。人にばれなければ、賢く儲けたやつが優秀な企業戦士なのだ。そんなことはないという企業人も沢山いるだろう。しかし、企業で出世している人間には、そういう傾向があるという点では、同感の人も多いい気がする。こうした傾向が強まったのは、グローバル企業と言われるようになってからのことではないだろうか。

企業のモラルというものは、日本という狭い範囲のことではない。中国が汚職体質なら、それなりにやらなければ中国では仕事にならないという現実があるだろう。きれいごとだけでは生き抜けない、ということが普通になる。想像でこういうことは書いてはならないのだろうが、そう思えてならない。日本がグローバル化する中で、日本人の特性を失えば、その存在の魅力は薄れるばかりである。私には魅力ある人間像と言えば、江戸時代の人間である。日本文化を持った人間。安定した価値観を醸成した人間。人間として自己完成を目指すことを目標に生きる人間。国の目標が一億層活躍社会である。もっと働け、そうでなければ、世界の競争に勝ち抜けないぞと、尻をたたいているようにしか聞こえない。自給で生きることに決めれば、ぐうたら結構、休み休みで結構。自給農業は楽農だ。

 - Peace Cafe