日本的である事

   

日本的でなければならないと考えるようになったのは、パリで棟方志功展を見た時だった。それまでは自己表現という物にはまり込んでいた。自分の個性らしきものを絵としてどう表現するのかという事に取りつかれていた。小林秀雄を介して西洋思想の影響のもとに絵を描いていた。どのように自分を絞り出すかという事ばかり考えていた。その結果、自分というものを高める事が、良い絵を描くと言う事なのだと考えた。勿論その考え方から逃れる事が出来たわけではないが、棟方志功の絵がパリで実に新鮮なものに見えた。その驚きは、日本というローカルに徹したものの方が、普遍的なものに近づくという理由だった。同時期に有った東山魁夷展の方は、絵に見えなかった。ローカルでない絵画は、グローバルでもないとそのときに考えるようになった。しかし、その区分けをしていた事自体が、新しい枠組みを探す作業であり、枠と言う限界をおのずと伴っていたと、今は考えている。

個人を越えた文化的な共通認識の意味が、絵画では重要なのだと考えるようになった。絵を描くと言うことが、実は自分の生来のもので、この目で見えるという見え方に絵は左右されている。見え方が違うから絵が違うと言う事がある。見え方の違いというのは、民族的に文化的な共通認識がある。写真ではどこを向けて、どのタイミングでシャッターを押すのかで映像が決まる。所が人間が見ているというのは、それぞれが見たい者を見たいように見ているのだ。同じ文化や生活の中では、幻想すら共通に見える。良くよく見る目というのは、実に奥深い所まで見える目なのだ。山を見て、見えない山の何が見えるのか。畑を見て畑の何が見えるのか。バラを見てバラの何が見えるのか。この見えるの奥深さにかかわるものが絵だ。その見えるの、固有性が江戸時代の日本人には、実に深く共通した認識が存在した。その奥の奥で共感する面白さが浮世絵である。

日本的であるという事は、簡単に言えば、江戸時代の様に有ると言う事だと思っている。西洋絵画の方法以前の日本人の世界を知ることだ。その上で、もう一度自分というものに対峙して見る。江戸時代の絵は現実を越えた理想の物として考えていた。だから現実を映すのではなく、現実の上部の奥にある、理想の姿を描こうとした。絵のようにというのは、美しいという事なのだ。さらに古い富士図では、峰は3つにならざる得なかった。そうあらねば理想の山ではないからである。現実の富士よりも富士の図の方が真実という事になる。絵のように、とか、絵空事というように、現実を越えて絵という世界での真実を見ている。それは日本人の精神世界を深く反映している。絵は観念の産物で、美人図であれば、現実の美人を写すのではなく、理想像としての美人。理想とは何かと言えば、それは江戸時代の日本人の観念であり、思想である。つまりそれを生み出している共通の暮らしである。

では、今の時代の自分の世界というものを原点に、絵を描くとはどういう事になるのか。そこに、暮らしを見直さざる得ない所がはじまる。江戸の庶民の文化レベルの高さが、浮世絵を産んだ。文化の弱まってしまった時代では、眼に映るものの表面性への意識が強くなる。花を見て花の表面的な美しさに終始する。表面以外の共通項が失われている社会。ゴッホのひまわりを考えて見ればわかる。ゴッホのひまわりは、自分の理想とする世界を飾るものとしてひまわりが描かれている。漠然とその空間を美しいものとして収まればいい等少しも考えていない。ひまわりの花に自分の絵画的理想世界を表現しようとしている。それがゴッホ自身の救済の提示になっている。日本人が日本人である根底の文化を失い、表現すべき文化を失ってしまえば、装飾はあっても、芸術は存在しないことになる。日本風土を原点とするという事が大切なのだと思う。

 - 水彩画