「美味しんぼ」の真実
「美味しん坊」という漫画が福島原発事故の放射線で鼻血が出たという、場面を表現をした。そしてそれは作者雁屋哲の実体験に基づいていると言う事だった。それはその通りの事が起きたのは、間違いのない事実であろう。当時小田原でも、小学校では子供が鼻血を出して倒れているという話を、真実として語る人がいた。その通りなのだと思う。理由なく突然鼻血を出す人はいる。それが、あの時期に当たれば、つい原因は放射能に思い当たると言う事になる。しかし、その因果関係が科学的に確かなものだと考えるには無理がある。小田原に落ちてきたレベルの放射能で、体調に直接的な影響があるとまでは考えられない。それでも、不安という心理は体調に強く影響するから、過敏な人の体調がおかしくなったという事は、無数にあるに違いない。それも一つの真実である。放射能の問題を書こうと言うのでなく、真実とは何かという事を書いておきたい。従軍慰安婦とか、侵略問題とか、歴史問題がある。芥川の藪の中ではないが、真実の因果関係は、一筋縄でなく多様に見えると言う事なのだと思う。
極端に言えば一つの真実など無いとも言える。従軍慰安婦と言われる人の内面の問題にまで真実は及ぶ。その内面も、その時々で違うはずだ。こうも思うときもあるし、ああも思う。過去を振り返るときと、現実の事が起きている時では、意味も違う。しかもその個人が国という中で扱われるとしたら、真実などどうとでもなるだろう。はっきりしている事は従軍慰安婦問題を自国の有利な材料として取り上げて行こうという韓国と、解決済み問題として過去の事件として納めてしまいたい日本の一部の人達とがあるということではないか。韓国にしてみたら、確かに過去解決を見た事ではあったが、あの頃の韓国と今の韓国は実力が違うという気持ちがあるのだろう。あの頃は国力が弱かったし、言いたい事も言えずにに、安易な解決を押し付けられてしまった。今は違う、国力もしっかりとしたものになったし、国際関係も変わった。しかも、慰安婦という物に対する社会の解釈も様変わりした。日本で売春禁止法が出来て、韓国のキーセンとかいうものに行く日本人がいた時代があったのだ。
侵略の解釈も同様である。何を侵略とするかは変化して行く。正義というものも変わってゆく。例の八紘一宇も歴史的な言葉だ。人類みな兄弟だって、私にはなんとなく笹川氏の臭いがする。私が侵略として、最も許し難く思うのは、文化的なものだ。たとえば瑞穂の国という文化を葬り去ろうとする事は、我慢ならない事だ。明治時代に有ったという日本語を英語に変えた方が、日本の国益にかなうなどという暴論も許し難い。アジアの同胞が西洋の暴虐にさらされている。この救済を行う事が目覚めた日本の役割だ。そして、何故か満蒙開拓に乗り出してゆく。その関係が怪しい。真実は変わり玉である。しかし、他所の国へ行って、日本語教育を行い、日本の神社を作る様な事はやらない方がいい事だ。それもある人から見れば、素晴らしい文化を授けているというような事になるのだろう。文化に優劣はない。違うだけである。
自分の真実というものを、もう一度科学的な大きな視野に立って、見直してみる事ではないか。世界がどこに向かう事が良いのかである。慰安婦などという物が無い方が良いと考えるのであれば、過去の日本の態度の解釈が、不当ではあると感じても、耐える所は絶えた方がいいのではないか。侵略など無い方がいいと考えるのであれば、日本だけに対する不当な歴史認識であると考えるとしても、侵略した事実を受け入れるべきだと思う。未来志向というのは、そういう事だ。安倍氏の言う未来志向は過去の事を掘り起こすなというのだから、これでは過去にふたをすることで、一つも未来志向ではない。それはもうすぐアメリカの議会で演説を許された安倍氏への不安だ。安倍氏がアメリカで持ち上げられる分、アメリカに従属する事になる。