農協に未来はあるのか
政府の方針によって、JA全農の解体が始まった。その結果は各地域農協の力量が試されると言う事が言われている。紆余曲折はあるだろうが、地域農協が株式会社になって、これから自力で経営をして行けるかという事になりそうだ。多分今回の全農解体の過程を見て、自民党の対応の以前との違いがある。地方の農協系議員が、中央では意見を表明出来ない。農協も普通の会社になれ、というのが、競争原理からくる意見として主張されているのだろう。その善悪はともかくとして、農協の一般会社化は進むに違いない。立派な成果を上げる農協が取り上げられて、成果の無い農協が無能扱いをされる事になる。そのときには、農業の背景にある、地域の条件と言うものは一切無視され、評価が取りざたされる事になる。その結果農協としては、農業を負担部門として、放棄する農協も考えられる。西湘農協もそうなる可能性を感じる。農業部門以外の力量があれば、その方が利益と言う意味では正しい選択になる。
農協株式会社と言う事になれば、不採算部門の切り捨ては当然のことである。農業のすべてとは言わないが、特に、西湘農協の稲作と言う事では、間違いなく不採算部門になる。一つの方策としては、学校給食との連動である。神奈川県産米は、神奈川県の学校で食べるという目的意識である。こうした社会的に支持される政策を取ると言う事も、地域社会と共に歩む意味で、重要な事になるはずだ。給食の意義から考えて、この為の負担増加は何らかの手立てが考えられるはずだ。地域の環境を守るために稲作があると言う事は、教育の中でも取り上げられている事である。こうした方向に西湘農協が向かえば、地域の住民とっても意義ある存在になるのではないか。稲作生産者も子供達が食べてくれるお米を作ると言う事で、意欲も湧いてくる。農協が株式会社になるとしても、地域社会に根ざした組織であるという事は大切である。
稲作農業の中でも、中山間地及び、極小の条件不利地域の稲作は、出来たお米の価格と言う意味だけで見れば、国際競争力は無い。しかし、田んぼの中には、地域の環境維持のためや、防災の為、重要な要素になっている場所もある。美しい瑞穂の国がらでもある。食糧生産と言う事を、食育の中で取り上げて行く必要もある。そうした直接の生産価格とは違う要素を、どう価格に含みこむかを分かりやすく、地域社会ごとに見えるようにすべきではないか。残すべきものを決めて、継続できる条件を作る。その条件を社会的に認知させてゆくのも、これからのことが今後の農協の役割ではないだろうか。農協の運営委員会に出ていた時に感じたのは、運営委員会が運営の協議機関になっていないという事である。私が出ていた時には、TPP反対決議が行われて、署名活動を私も行ったのだが。運営委員会では、協議したというより、こう決まったので署名を集めて下さいと降りてきたという感じだった。
地域の農業の現状をみると、産業として継続できる人は、後10年したら、殆ど居なくなると思われる。そのときには、新たな担い手の登場が有り得るかである。その新たな担い手は、農協を頼りにするのだろうか。農協とかかわりながらの新たの農業を展開を考えるのだろうか。それとも、農業企業の社員になろうと言うのだろうか。農協が今ある地域との強いつながりを生かせるのかどうか。瀬戸際にある気がする。農協と地域社会の関係は、私が考えるより、はるかに重いものだとも思った。それが足かせになるのか、強みになるのか。今が分かれ道になる。いずれにしても、農業者が共同して生産から販売まで行う組織としての、農協の本来的意味を見失ってしまったのは、政府ではなく農協自身である。