三線のチカラ
「三線のチカラ ー―形と美と音の妙―― 」沖縄県立博物館で行われた企画展のカタログである。CDがついていて、開鐘三線の音が記録されている。三線は楽器なのだから、音色の良さが一番である。伴って形の美しさと言うものもある。そして歴史的に評価されてきた開鐘(けいじょう)と名ずけられた名器がある。その名器の音と、写真を記録した貴重なカタログである。沖縄の博物館に問い合わせたところ、まだあると言うことで早速手に入れた。このカタログを読んでいると、三線と言うものが、沖縄の心の一つの姿であると言ってもいいのではないかと思えてきた。沖縄は米軍と日本軍との地上戦が行われ、焦土と化した。古い三線はかなりの数が失われたということである。戦後いち早く物資が無い中で、カンカラ三線と言うものが登場して、音楽への渇望を満たした。沖縄からハワイに移民した人達は、三線を宝として携えて渡った。今も、ハワイに古い三線は沖縄を越えて残っているらしい。
琉球王朝では三線は武士の嗜みであり、そうした楽師としての役職もあったと言う。女子には禁じられていた。音楽を尊ぶ沖縄の文化の歴史が書かれている。この本では中国との関係が三線を通して様々書かれている。江戸幕府に三線を献上する。その三線が日本にのおる最古の物と言う事だ。三線の楽師を送るようすの絵図もあるのだが、やはり、中国から来た楽器として、三線の中に道教的な思想をはぐくんだようだ。富士山が信仰の対象になり富士山図と言うものが出来たように、三線という楽器の形の中に精神性を考えている。その為もあるのか、棹の重要性が強調される。棹の上部を天と呼ぶ。棹が道であり、胴の中に心がある。3本の糸は男糸、中糸、女糸と呼ばれる。楽器として一番音色に影響する胴は意外と重視されていない。三線の発する音色を、精神世界の表現として考えている。その意味では宮中音楽の雅楽的なものと共通するのかもしれない。王朝文化としての三線が庶民に広がってゆくのは、明治期以降のようだ。
そして、今や沖縄の生きた民謡を生み出す、基礎となっている三線の音色と音律。三線を毎日弾いている。曲が引けるという訳ではないが、よい音が出るだけで今のところ満足である。実によい音色である。不思議なものである。古曲の三線は長唄の様な曲の伴奏の為の物のようだ。津軽三味線のように、演奏そのもので聞かせると言うものではない。唄の無い三線の曲と言うものは無いのだろうか。本のCDにある曲はいわゆる沖縄民謡とも違う。どちらかと言えば、重い緊張したものだ。本調子自体がかなり低音でできている。そしてこの低い音色こそ三線らしくすばらしい。販売されている三線は、私がイメージするものよりもどうも一段高い音だ。心に深く沈みこんでゆく、月に照らされたような音色というより、アメリカ的な太陽を感じさせる軽快な音色である。
3月4日は三線の日と言う事である。「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」この日には沖縄に行って、大工哲弘さんの三線と唄を聞く予定である。古謝ミサ子さんも出演される。大工さんは八重山民謡の名手でありながら、反戦の歌も歌う。どうも1部2部入れ替え制と言う事で、お二人を聞く事は出来ないようだ。