安全保障と軍備
沼津江の浦 10号 小川和紙 港を見下ろす高台から描いている。富士山を見る最高の場所。今は、奥のみかん畑が放棄されてしまい、ここまで登れなくなっている。
やっと日中首脳会談が開ける事になった。日本の総理大臣が、頭を下げてお願いして、中国に出掛けて行って、会って頂くという構図に導きこむ駆け引きは、さすが大中国である。それでも会わない訳にはいかない。あの小笠原にたむろしている、赤珊瑚の密漁船団すら強い態度が取れないのが、日本政府であり。中国政府の指示で来ているのか、犯罪者の野放しなのか、あるいは中国政府がかなり限界に来ているのか。中国は政治的にはかなり困難な状況に陥っていると見ている。その原因は格差である。一握りの富裕層が腐敗構造の中で、私腹を肥やしてきた。経済成長が目に見えていた時は、それでも大半の国民が恩恵を受けていたから我慢をしてきた。経済が徐々に落ち着いてきた現状では、未来への希望がしぼみ始めている。政府のより強い統制を必要としている状況。この緊張関係に日本政府は利用されている。
軍事力の大きさが国の安全に繋がるのかどうか。現実に世界で起きていることを見る必要がある。ウクライナとガザ地区が戦闘状態にある。イスラム国という大きなゲリラ組織が、中東で暴虐を尽くしている。アフリカでも数限りない戦闘が繰り返されている。第2次世界大戦以降69年が経過して、第3次世界大戦は起きなかったが、死者の数からすれば、戦争は常に起きている状態である。こうした状況の中で、軍事力が平和を維持することには不可欠だというのが、集団的自衛権の憲法解釈見直しの要因と説明されている。このことは否定できない一面であるが、同時に、軍事力があるから戦争が阻止できるということでもないことは、現状から想像される所でもある。現在の戦争は、代理戦争になる。民族戦争であったり、宗教対立が背景にある場合が多いいようだが、対立する陣営に大国が後ろ盾になる。大国が割り込んでくる背景は、結局は経済である。社会正義が錦の御旗として口にされるが、経済圏の確保が、国家を越えて世界企業の活動として存在する。
日本の安全保障を考えた場合、中国の軍事的拡張主義が目の前の課題であり、北朝鮮の暴発的な危機が、深刻な現実問題である。幸い宗教や民族的対立という、深刻なことは無い。中国の国内には、民族対立や、宗教対立が存在し、それが中国政府の軍事大国化による国の安定と言うことに繋がっている。また、領有権にこだわり、拡張主義になっている原因は、海洋権益の確保が海底資源を経済発展の要としているためのようだ。高度成長を続けている中国としては、新しいエネルギーの確保が、国の経済発展に欠かせない要素だろう。いつまで石炭を使っている訳にはゆかない。中国にとって、経済成長が止まる時が、国内問題が沸騰してくるときに成るのだろう。経済成長こそ、現中国政府の命綱と成っている。
日本の安全保障の原則は、日本の権益を外国に求めないことである。経済の拡大のために、外国の消費者を当てにしないことだ。経済競争に勝つという事を日本の方角にしないことだ。競争の原理は、必ず軍備競争につながる。強い者が勝つという事から、人類が抜け出る為の希望が、日本国にはある。それが平和憲法の精神である。世界は、経済競争の行き詰まりが近付いている。そのときに、軍備競争に拍車が益々かかる事になる。それは、人類の破滅への道だ。確かに無防備である必要はないが、攻撃的武器は持たないという意思は一つの平和への道だ。