ノーベル賞の中村教授
早川のみかん畑 中盤全紙 面白いのだが、絵に成ったことが無い。みかんは栽培も上手く出来ない。
青色発光ダイオードの研究をされた、中村教授がノーベル賞を受賞した。徳島の小さな日亜化工の研究者が開発したものだった。青色発光ダイオード物語は、まさに日本の中小企業の底力だ。当時から、ノーベル賞ものだと言われていた。それが20年経って現実に成った。今回の受賞インタービューでも、中村氏は日本はダメだと連発されていた。それくらい日本の社会に絶望して、日本を捨ててアメリカ人に成った人だ。青色発光ダイオードを開発しても、会社からは2万円しかボーナスが出なかったというのは有名な話だ。社員なのだから研究するのは当然だということだった。その徳島の小さな会社が、今や世界的大企業に成った。たぶん、中村教授の発明のおかげが大きいのだろう。当時中村教授は200億円の価値はあると主張して裁判をしたのだが、6億円払われた記憶がある。しかし、今に成ってみれば、200億円の価値どころではなかった。ノーベル賞ものだ。
すべての照明がLED照明に変われば、原発3基が要らなくなる。と報道されていた。すべてのトイレのウオシュレットがなくなれば、原発1基要らなくなる。原発が一つでも減る様に節電するのは大事だ。福島原発事故後は節電はかなり主張されたが、最近はあまり主張されない。原発を再稼動したいからだろう。原発利権に目がくらんでいる原発一族がいる。むしろ、電気が足りなくなることを期待している原発再稼動派の人もいる。中村教授のことだった。この研究がすでに世界中の人の暮らしに浸透して、多くの恩恵が広がっている。照明だけではない、携帯パソコンのバックライトはLEDだ。ともかく省エネ長寿命。送電線の来ない僻地で太陽光発電と蓄電を組み合わせて、暮らしの照明に役立てている。これが可能になるのは、LEDのお蔭だ。LED液晶テレビが普通になった。
中村教授にしても、先日の山中教授でも、ノーベル賞を受賞するということは日本人の誇りだ。これ以上に嬉しいことはないほどだ。残念ながら、文学賞、平和賞は逃したということだが、芸術の評価は中々正しい一つということはない。、川端康成がノーベル賞をもらったからといって、素晴らしい文学と決まった訳ではない。当時もっとすごい文学者は日本には山ほどいると思っていて、何故川端康成ということでむしろ驚いた。文化や芸術の評価をノーベル賞が行うことは少々おかしい。平和賞もそうである。9条を平和賞にというのはもらえれば、誠にありがたいことだが、実態を思うと喜べることだけではない。佐藤栄作氏が非核三原則でノーベル平和賞をもらったのだが、よほどの自民党支持者でも、うなづける受賞ではなかっただろう。私は9条命の様な人間だが、ノーベル賞は実質の伴った時にもらいたい。
中村教授が日本に嫌気がさして、カリフォルニア大学に行かれたことが、日本の現状を表している。この機会にこの問題点を自覚し、少しでも改善しなければならない。これから先の日本の研究の環境が良いものに成ることを、願うばかりだ。中村教授は中小企業のバラック研究室で、手作りの実験機材で、ノーベル賞の受賞に値する研究を成し遂げたのだ。当時の日本の研究機関にはできなかったことを、一人でやり遂げてしまった驚異的な人だ。そんな人だから、当然普通の人ではない。とげもあれば、牙もある。そういう人を受け入れ、さらなる研究を進めることのできる、日本の研究機関はなかった。ノーベル受賞されるような人は、並みの人ではない。別格の人だ。そういう人が収まる器が日本にな飼ったということは残念だ。この悪環境の中でも日本人はノーベル賞を受賞する人がいる。日本人の底力は、すごいものがある。