安倍コピペ総理

   

青ヶ島の牛 10号 青ヶ島は奇妙な島である。異界の様な空気がある。それでいて懐かしい所である。

安倍氏は文楽人形であろうと言う疑いは以前から繰り返し書いている。それがコピペ総理らしいという新説が出てきた。2007年の総理大臣の時の失敗を踏まえて、自分では考えないことにしたのだと思う。最初は疑いもあったのが、今に至っては確信に至っている。原爆の日の挨拶文が、去年とほぼ同じだというのは当然であり、同じ人にお願いしたということだろう。別段批判されるようなことでもない。その証拠に2007年の時の挨拶とは締めの言葉の書き方など、かなりちがっている。総理大臣なのだから、専門の担当が優れた文章を作ってくれるということは、必要なことだ。演説が素晴らしいと言われる、アメリカの大統領にも、何人かの文章制作者が付いているということが言われる。安倍コピペ総理の場合、挨拶のコピペがいけないと、丸で大学生のレポートの様なことが言われているが、問題はもう少し根が深い所にあると、言わざる得ない。むしろコピペの方ではなく、変わてしまう部分に問題がある。

全部同じならいいのだが、専門分野によってお願いする下請けが違うのか、まるで違うことを発言するのだ。地方創生と言う、分るような分らない造語による、地方の消滅対策を例に取れば、地方に力点を置き、新たな地方創造の為の政策を行うというと言うことらしいのだ。これが、安倍経済政策の第4の矢になるとまでいうのだ。まさかと思う。第3の矢を何故打たないのだという批判が続いているさなか、すでに第3の矢は終わっている。だから、今度は第4の矢だと言いだしているのだ。しかも、自分の発言したはずの、美しい瑞穂の国日本と言う、美辞麗句などどこ吹く風と言う調子で、地方を疲弊させながら、地方創生とは、何を意味しているのか言葉遊びもいい加減にしてほしい。あの積極的平和主義もそうだ。平和とは逆方向にもかかわらず、積極的という意味の曖昧な言葉を平和主義の前に鎮座させて、本質を反転させている。武力主義のことを積極的平和主義と呼び変えた意味はあるのだろうか。今回の言葉の解釈では、地方整理という言葉を地方創生と置き換えているのではないか。

安倍氏の強者優先の思想は、日本を格差社会に導き、世界企業に日本を自由に使ってもらおうという結果になってゆく。日本の農業を国際競争力という言葉を、尺度にして、振り分けてゆく。これは条件不利地域を終わりにする。自己犠牲と言える頑張りで、日本の農業を支えてきた大多数の小さな日本の農家に対して、止めてほしいと言っていることになる。それが地方創生の本質になるだろう。まだ策が出ない内に結論を書くのはいかにも早すぎるが。美しい日本が保てるわけがない。瑞穂の国が守れるわけがない。地方創生策はたぶん何も出てこないのだろう。安倍コピペ氏には過去にないことはコピペできない。言葉遊びで地方創生などと誰かが言い出したのだろう。言葉によって本質をごまかしてゆくというのは、コピーライターの仕事である。おなかがいっぱいで、もう要らないと思っている食べ物を、美味しそうな言葉で、食べたくしてしまうのだ。不要のものを買わせるの仕事の宣伝マンである。木偶人形安倍コピペ氏の人形師の仕事ではないだろうか。

宣伝に弱い。流行に弱い。これは日本人の特徴でないか。コピペしたかのように繰り返し発言するのが、国際情勢の緊張の高まりである。それによって、何か東アジアでは、戦争の不安が高まっているような雰囲気になってきた。宣伝効果である。この緊張状況を作り出した原因は、日本側にある。石原都知事の、尖閣国有化が発端である。そして、安倍内閣になっての靖国参拝である。もちろん、相手のあることだから、向こうの態度も変わった。変わった態度を今度は問題にしてさらに、緊張を高める。この一連の行動の目的は、日本国憲法の平和主義を変えようとしている。自民党憲法草案である。日本を普通の軍事国家にしたいというのが、安倍自民党の意志だろう。そして党内では、対抗馬の石破氏の牙を抜きにかかっている。どうもコピペ首相は中々の戦略部隊が寄ってたかって操っているようだ。

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