地方創生の「まち・ひと・しごと創生本部」
下田 10号
安倍内閣の繰り出す、見栄えのするアイデアには、なかなかのものがある。地方創生の掛け声には、惹きつけられるものがある。ただし、経済再生の第3の矢がすでに放たれているという主張の割には、矢の姿は見えない。しかし、アベノミックスの標語ともども、とても良い所を突いている。電通から打ち出された第4の矢だと思っている。それは昨日も書いた。コマーシャルというのは、イメージ戦略であって、別段本質と違っていても、目立ったらそれで勝ちという所がある。もう要らないという商品を、欲しくなるように消費者心理に付け込むことが、宣伝の使命である。確かに安倍内閣は、実質とは別のイメージ先行には、実に長けている。海外に出掛ける首脳外交。被災地に月に一回は出掛けてゆくという、まめな行動。悪いことではない。しかし、現実にある困難なことの解決はほとんどできなていい。福島原発など、安倍さんの言葉だけの、完全コントロール宣言。イメージ戦略だから、靖国にも行く。
「地方の魅力や特色を生かし、若者が働くことのできる場、子育てを自然の中で行うことができる場を作り上げることは極めて重要だ」年内に地方の特産品の普及を促す「ふるさと名物応援制度」を創設する。菅官房長官はこのように述べている。ぜひとも言葉どうりの実現を願う。地方創生という言葉は、新しい使い方だと思う。創生とは、無かったものを初めてつくり上げることである。現状では地方というものが存在していなとして、地方という地域を、新たに作り上げるぐらいの意気込みだ、と言いたいのではないだろうか。この言葉づかいからしても、言葉のまやかしを感じる。日本は江戸時代から、藩制度で日本各地域が、300弱に独立して存在していた。濃淡様々であるが、現在の日本に比べれば、各藩ごとの独立性は高く、その地域の特色もくっきりとしていた。藩の土地は幕府から預けられるという制度になっていたが、各藩は経済的にも自立して運営されていた。地方は確実に存在したのだ。
精神的には一つの藩のまとまりというものは、地方社会の根本をなしていた。共同体としての地域の存在は、厳然として存在した。その意味で、地方を創生するという言葉は、歴史認識に問題があるという気がする。日本国の骨格をなした各地域の農業に基づく文化を、まるでなかったかのように、言ってしまおうという、荒っぽさがある。綺麗な標語より、具体的な方向性である。地域社会を活力あるものにするとすれば、江戸時代より培ってきた、各地域の文化の特色抜きに考えられないというのが、私の意識である。安倍政権の言葉としての目標は、仕事を作り出すと主張しながら、地方にどうやって、どのような仕事を作るのかは示せないに違いない。一体あの瑞穂の国日本論はどこに行ってしまったのだろう。始める前から問題点をあげつらっても仕方がない。地方を大切にするという意識が、新しいしごとの創生という意味で生かされるのであれば、大いに期待したい。
農業特区を調べているが、第3の矢の実態とはこんなものかと思わざる得ない。これは改めて書く。私の好きな地方と言えば、沖縄である。沖縄は経済特区として、様々な政府の方策がとられている。しかし、その効果は今だ出てきているとは言い難い。沖縄的なものを生かす政策とは言えない。失業率、平均年収、ともに厳しいものがある。まち・ひと・しごとという意味では、しごとは全く上手くいっていない。まちという意味では、沖縄という特色ある地域が、東京と同じような空気に薄められては意味がない。国が行うべきことの範囲を明確にする。後は、地域の自主性に任せることだ。そしてこれから消滅地域がどんどん出るだろう。その消滅する中で残すべき所の合意を模索することだろう。地方は農業にかかわる所が多数である。地方を維持するとは、日本の食糧自給でもある。地方に新産業ではなく、今ある農業をどうするかを忘れていては、地方の疲弊をさらに進めることになる。