水土への感謝
爪木崎の灯台 10号
ありがたいと思って暮らしている。そう思えることは幸運なことだろう。日本に生まれ、日本の水土に育まれたことを、日々感謝している。水は流れゆく限りなきものだ。土は過去から未来へ変わりなくここに確かにあるものだ。日本の水土は世界にまれにみる豊かさを秘めている。日本人は何万年も前に、日本にやってきたのだろう。そしてこの豊かな島にたどり着いたことを幸せと思い、この土地に定住してきたに違いない。日本は災害の多発する地域である。しかし災害があるとしても、この豊かな地域を離れることなど考えられなかったのだろう。日本の水土の中に永続する暮らしを夢見て、自分達の命を紡いできた。水土を神として祭り、自然から分け頂くという暮らしを作り上げた。自然を手入れして行くことで、自然を改変することなく、人間が永続できる暮らしの工夫を伝えてきた。特に、稲作の水田技術の伝承は、日本人の性格まで作り上げるほど徹底し、洗練されてきた。このことを思う幸せである。
イザヤ・ペンダサンの解き明かした、日本教の修行の方法が、稲作だったのではないかったのかと思う。稲に対する信仰は、神を祭ることと切り離せないほど、密着している。気候的に稲作がどれほど困難な地域でも、何とか田んぼを作り、神田を作り、神にしめ縄を作り、お米をお供えをせずにはいられなかった日本人。日本の水土を何千年も、連作を続け、土壌を疲弊させるのではなく、より耕作しやすい豊かな水田土壌を作り出してきた。このご先祖から受け継ぎ、子孫に残してゆく、水土というものが、日本の姿なのだと思う。この稲作技術こそ、他の農業とは比較にならないほど、日本人の精神の形成に影響をしてきたものだ。そのことは、伝統的な技術で田んぼをやってだんだんに分って来たことだ。父は、自分が農業をやったことのある人ではなかったが、一粒のお米も無駄にしては成らないと本気で教えてくれた。明治生まれの人には、まだそういう信仰が根深く身体にあったのだと思う。
私は子供の頃、山梨の山村で育った。他の何よりも水田が大切という気分の中で、成長した。水を汚しては成らない。山から持ってくる落ち葉に、自分達の糞尿をかけて、堆肥化して田畑に戻していた。小さな子供の頃から、それがどれほど大変なものであるかを身にしみてわかっていた。しかし、そうした貧しい、爪に火をともす暮らし暮らしから、すべてを学んだと言える。今思えば、そうした暮らしを教えてくれた、祖父や祖母には感謝の思いが限りなく湧いてくる。小さな子供でも、暮らしを支える一部を担っていた。遊びたい子供には厳しい役割ではあったが、炎天下今日の役割として、与えられた草取りの意味が今頃になって、自分を日本人に育ててくれたのだということに気付く。お寺の庭を一回り草取りが終わると、もう前の所には草が出ていた。これは繰り返してゆく他ない。こうして日本の水土の豊かさを身体の中にしみついた。
日本人が日本人であるためには、伝統的な水田農業を忘れないことだ。先日、朝からみんなで田の草取りをした。みんなで草取りをしていたら、隣のおじさんが犬の散歩に来て、何をやっているんだか、500円あれば、全部草はなくなるぞー。と冗談を言われた。確かに田の草取りをやっているのは、酔狂なことだ。経営農家としては、あっては成らない姿だろう。ばかばかしい作業に見えて当たり前のことだ。ところが私の子供の頃は、朝から晩まで草取りをしている働きもんとして、みんなに尊敬された姿だったのだ。お坊さんの修行の姿なぞ、信仰がなければただ哀れで、ご苦労なことだ。しかし、この日本の水土がいつまで永続できるのかは、不安なことだが、それ以外に人間が幸せに暮らせる道はないはずである。そう思うと、田んぼを続けられるありがたさは、身にしみてくる。毎朝夜明けを待つように、田んぼに行く爽快感。