中間貯蔵施設は何処へ

   

東伊豆海岸 10号 東伊豆海岸はどこも長い人の暮らしを感じさせる海岸である。畑があり、人家があり、港がある。人と自然のかかわり合いで出来た面白さがある。

福島原発事故の除染作業で出た放射能廃棄物は、今後も増え続ける。小田原の茶畑では、汚染された表土や枝葉は、畑の中に置いておくようにという指示であったが、2mあった山がすでに腐植化が進んで、跡形もない。福島では地域全体の表土を取り去ることを行っているのだから、本当にやるとなれば膨大な量になるはずである。完全な除去などできる話ではない。農地などで表土を取り去った後、農地の隅に置いてあるというのが実情である。福島ではこうした荒んだ風景が広がっている。その量も増える一方で、何とかしない訳にはいかないが、なんともならない。そこで、福島第一原発のそばの2つの町に、中間貯蔵施設を作り、そこにまとめようということになっている。しかし、その条件が、30年後に福島県外に運び出すという約束である。何故、そんな約束をせざる得ないかと言えば、当然、最終処分場にされるという事を畏れているからだ。最終処分場は福島県外に作るというのが、政府の約束で法律化されるという。

では日本のどこに、世界中のどこに、福島原発事故で起きた放射能汚染廃棄物を受け入れる所があるのか。ある訳がない。ある訳がないのは政府も承知だろう。その上で、ともかく中間処理し施設という名称で、30年の猶予を付けたといだけのことだ。仕方がないこととはいえ、ひどい解決策だ。原発というもののどうしようもない醜さをさらしている。福島以外の人にしてみれば、福島第一原発が出した放射能なのだから、福島第一に戻してもらいたい。私はこう考えている。福島第一原発周辺は、どの道人が住むことなど出来ない状況である。その人の住めない場所に戻す以外にない。その責任は東電にある。費用も東電が持ち、電気代に上乗せする以外ない。除染費用も、その後の廃棄物に対する責任も、すべて東電が持つ必要がある。それが原発を再稼働しようとしている会社の取るべき、筋道である。しかし、除染も、廃棄物処理も、税金で行っている。何が、原子力は安い電力だ。

福島原発の周辺住民にしてみれば、核廃棄物の固定化は嫌なことだろう。しかし、それは原発を誘致して、歓迎してきた責任である。地元自治体が反対すれば、原子力発電所はできなかったのだ。原発を誘致して、その恩恵を受けてきたのが、地元自治体である。その地元自治体が核廃棄物を永遠に引きうないで、どこの誰に押し付けようというのだろうか。今話題になっている吉田調書や、それに伴う、細野証言を読むと、原発事故は全く幸運にも、最悪の事態はしのげた。一歩誤れば、原子炉自体が大爆発を起こすところだったのだ。そうなれば、4つの原子炉すべてが大爆発して、原子炉上部に大量に保管されていた、核廃棄物もろとも大爆発が起きて、もう東日本は人が住めないところに成ったことは明らかなことだ。今こうしていられるのは、幸運と現場の命がけの対応のお蔭である。感謝しろと言われても困るが、もう2度とこんなバカなことはして成らない。

核廃棄物は、すべて福島第一に集める以外にない。河口の汚泥や、下水処理場の汚泥焼却灰。こういうものもすべて福島に集める以外に方法がない。福島の地元住民にしてみたら、とんでもない話だろう。しかし、仕方のないことだ。原発による地域振興を選んでしまった、住民の責任ではないか。その覚悟がないのに、再稼働など騒いでいる、今も原発の恩恵を期待している、原発地元自治体は肝に銘じておくことだ。もし事故が起きれば、ふるさとはなくなるということだ。そして、日本自体が滅びるということだ。それほどの恩恵が何故原発にあるというのだろうか。核保有ということか。確かに、石油の出ない日本という国は経済競争には不利である。しかし、それで自然エネルギーに転換すれば、国家100年の計である。自然エネルギー産業の中心に成れる可能性もある。福島原発の地元の、双葉町、大熊町はその責任を引き受けてもらいたい。

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