水彩画教室 6 挿絵について
戸隠 10号 ソバ畑の跡である。ソバの季節もなかなか見ごたえがある。
挿絵というジャンルがある。もちろん絵の一つである。しかし、挿絵は私の考える狭い絵画では、絵とは思わない。この違いは微妙なことであるが、絵画を芸術の一つと考えると、重要な問題を含んでいると思うので、なぜそのように思うのかを考えてみる。挿絵は一般に鉛筆やペンや、墨汁の黒い線でまず意味をあらわす。その後意味を補完する意味で、色彩を加えることが多い。水彩という材料が、下図用に使われることはままある。挿絵の水彩による着彩もよくある。スケッチで水彩を使うことも多い。それらの作業から、水彩画はその延長にあると考える誤解が良くある。挿絵というものを考えてみると、自分の考えている絵画というものがはっきりしてくるような気がする。まず挿絵というものの範囲を考えてみると、イラストというものがある。
イラストは絵図による説明という意味になる。例えば機械の図解というようなもの、人体の模式図というようなもの、ボタニカルアートなどもそうだろう。制作者の個性は殺し、より分かりやすく説明することが求められる。もちろん、イラストという言葉の使われ方が、従来の挿絵を意味するような使われ方に変化してきている。そして、もう少し絵画の境あたりにあるのが、淡彩画である。挿絵を徐々に絵画に近づけて行ったとして、彩色された素描というあたりが淡彩画なのだろう。その意味ではスケッチ画というものは、かなり淡彩画の意味に近いものになる。そういうことはそもそもどうでもいいことのようにも思えるが、水彩画とは何かを考える上では、意味を持つはずだ。
挿し絵にもう一度戻るが、挿絵には本文というものがある。評価の高い挿絵には、吉川英治作「宮本武蔵」の挿絵は、彫刻家の石井鶴三氏である。叔父の笹村草家人の師である。司馬遼太郎作「街道をゆく」の挿絵は、現代最高の画家、須田剋太氏である。私にとっては、挿絵を描いた人の方が、本文の作者より尊敬をし評価している。しかし、一般的な世間では挿絵を描いた芸術家には気付いていないのかもしれない。それでも両者とも、挿絵は挿絵として素晴らしいものであるが、芸術作品とは思わない。それは本文の付け足しであり、説明のようなものだからだ。本文がなくてもそれだけで自立しているものが、絵画作品だと思うからである。須田剋太氏の街道をゆくの挿絵展がWEV展が開かれている。を見たことがあるが、やはり、本画に比べるとどう見えるだろうか。私には物足りないものなのだ。
須田氏の書に於いては、背景を塗りつぶすことで、字を浮き上がらせるというような、斬新な書を描いている。背景のある書が普通である。須田氏の絵画の系譜は、光風会、日展に始まり、長谷川三郎氏との出会いによって抽象画に転向する。ともかく自由であらゆることに挑戦している。ところが、挿し絵になると、司馬氏の文章の範囲にとどまっている。本文をぶち壊してしまうような、持ち味の勢いがない。破壊的な勢いこそ須田氏の芸術の根幹であろう。そうした制作姿勢から、作品のレベルにはとてもムラがあるのではないかと思う。いいものと、どうでもいいものがある。私には、一連の挿絵はどうでもいいものの方である。説明だからである。その街道の風景の情景説明だからである。私が見たいのは、須田氏であって、街道の港の家並みではない。家並みを見たいならそこに行く方が良い。家並みを見た須田氏が、家並みの説明を越えて、須田氏の人間が立ち現われている所が見たいのである。もちろん須田氏の挿絵が傑出したものである事の上に、望むものがあるということなのだが。