モンゴル3横綱時代
妙高岳 10号 妙高にもよく描きに行った。知人の水彩画家が暮らしている。寒いけれどとても良い場所で、ペンションをされている。河原崎律さんと言われる。妙高ではずいぶん学んだ気がしている。
モンゴル出身の大関鶴竜(28)(本名マンガラジャラブ・アナンダ、井筒部屋)が14勝1敗で初優勝を飾り、場所後の横綱昇進を確実にした。大相撲ファーンとして、横綱が新しく誕生したことを、それほど喜べないことに驚く。横綱は鶴竜関で71代だそうだ。その内6名が外国出身の横綱で、ついに3人横綱がすべてモンゴル人となった。日本人が優勝したのはもう忘れたぐらいだ。日本人横綱の最後の誕生は3代目・若乃花が1998年推挙されたのが最後だから20世紀の話だ。日本人横綱の最後は貴乃花が2003年1月場所中に引退。日本人力士の最後の幕内優勝は2006年1月場所で、大関・栃東。平成に入ってからは、大相撲は外国人力士の時代と言えるのだろう。幕内優勝すら、日本人が出来ないのだから、到底、横綱になることは当分はできないだろう。はたして、これで日本の伝統文化と言えるのだろうか。
国際化ということは、こういうことなのだろう。棚田で耕作しているのは、外国人という時代が来るのかもしれない。美しい日本、瑞穂の国日本を、外国人労働者によって、維持する時代も遠くないのかもしれない。絶対にそんな国にしてはならない。相撲のことだった。遠藤が大人気である。今場所は2度目の負け越しで、6勝9敗であった。遠藤は石川県の能登半島の出身力士である。能登半島と言えば輪島関である。輪島関も学生横綱から、幕下飛びつけ力士で、強い力士だった。相撲が何故外国人中心に成ったのか。つまり国際化したのだ。柔道は日本の武道が、発祥であったが、今や世界の柔道競技に成った。そうなれば日本人が常勝という訳でもない。当然のことだろう。相撲が難しいところは伝統的文化という側面の強さである。ちょん髷を結い、太刀持ちがいる。横綱が侍大将ということだろう。相撲で強くなるのは辛抱だ。初代若乃花はこういうコマーシャルに出ていた。たぶんどのような道でも辛抱が必要という意味なのだろうが、こうした体質が日本人から失われた。
好きこそものの上手なれ。という方で、好きなら努力が出来るということだろう。嫌なことを我慢してやるなぞ、馬鹿げている。これが一番日本人の変わったところのようだ。外国人力士の方が辛抱が良い。これは時代の流れである。佐田の山の足腰は、漁船のろ漕ぎ鍛えたと言われた。農作業で足腰が強い日本人という話はもう昔のことなのか。おしん横綱と言われた、隆の里関は苦労に苦労を重ねて、横綱になった。その育てた力士が、稀勢の里である。この人は日本人で由一横綱に成れそうな人だ。ところが、成れそうで成れない為に、とても歯がゆき思いを多くの相撲ファーンはしている。その原因は、親方の隆の里関が大切な時期に亡くなられたことにあると思う。師匠からの気持ちの支えがないことが、こたえたのだと思う。辛抱の背景が今のところ弱い。遠藤は今場所、6勝だったが、人気では相撲界一番かもしれない。といってもまだまだ先は長い。相撲が芸能の一種の文化だとすれば、まさか外国人の歌舞伎や能舞台では少し違う。
横綱誕生の喜びの影で、琴欧州元大関が引退した。膝の怪我の為である。間違いなく横綱に成る力士だった。所が大関になった矢先、膝を大けがをした。朝青龍との申し合いで痛めたと言われている。他にも朝青龍に壊されてしまった有望力士はいるらしい。横綱とのけいこで壊れるようでは、壊された方がいけないのだが。将来のライバルを潰しておくというのもあったのかもしれない。琴欧州関はもともとレスリング出身でヨーロッパのジュニア選手権では優勝もしている。人間的にも穏やかで優れている。相撲協会に3年間は残ることになるらしいが、この間に親方に成れるのだろうか。相撲の土俵の高さをもう少し低くしたらどうだろうか。土俵は高さが34~60cmと成っているが、テレビで見る限り、良く見える為にか、60cm以上あるように見える。これは既定の最低の34センチにした方が、力士の怪我は減るはずだ。