雷田が死んでしまった。
傾斜地の畑 5号
雷田の死ぬ1週間前の写真
雷田が死んだ。昨年の夏ごろから、何となく運動量が減ったとは思っていた。10歳を越えてから、衰えを感じさせるようになった。冬に成って寒いのかふるえていることもあって、暖房を入れていた。それでも日に日に食べなくなって、食べたいものを見つくろって、食べさせるようになっていた。こういう経験は何度かしてきたので、そろそろかと覚悟はしていた。幸いなことに、雷田は苦しがるということがない。我慢強いせいなのか特に痛いと所もないのか、ともかく徐々に年を取って弱ってきたという感じであった。10歳を越えて、年齢的に急激に衰えたという感じがした。苦しんで最後を迎えることは避けてもらいたいと思っていた。雷田とは一番の友情があったから、寂しさが今とても強い。何か、空白な部分がある感じがする。つい、どうしたのかなと雷田の所に行きそうになる。確かにもう居ないのだ。
雷田は京都生まれである。京都まで迎えに行った。送ってもらえば良かったのだが、ブリーダーのタッズケンネルの細さんが、その程度の熱意のない人間に犬を譲ることはできないというのだ。その見識が評価できたので、わざわざ京都の奥にまで、迎えに行った。なにしろ、つれて変える時は奥さんは別れがつらくて泣いているのだから、ブリーダーと言っても特別な人たちだと思った。雷田という名前は、ちょうど家に来た日に、すごい雷が田んぼで鳴り響いていたからだ。雷が豊作をもたらすということもあるので、雷田にした。強そうな名前にしたら、元気に育つという気持ちもあった。名前の通り、やたら強よそうな、体力の際だってある犬だった。そもそも、その前に居たどんちゃんが一人でさびしそうなので、探した犬だった。犬は1匹で飼うものではないと昔から考えている。二人でいると犬どうしの世界が出来て、とても心豊かな犬に成るようだ。どんちゃんはブルドックとブルテリアをかけ合わせた犬である。和歌山生まれである。この犬に似た犬を探して、ピットブルにたどり着いた。
アメリカンピットブルテリアはとても不幸な犬だ。なにしろ世界中で犬種として公認されていない犬である。飼われている数は相当いて、アメリカでは人気犬種である。にもかかわらず、AKCでは公認されていない。闘犬に使われるからである。ブルドックもそうなのだが、闘犬向きの犬種というものはその闘争心を取り去ると、最高の犬に成る。人間との信頼関係という意味で、まさしくピットブルほど心やさしい犬はいない。色々の犬を飼ってきたが、友情という意味で、まったく雷田は格別であった。全幅の信頼をおいてくれていることが分った。こちらも友情で答えようと、良い関係を作れた。反抗するとか、命令に従わないということ一度もなかった。これは珍しいことだと思う。いつもこちらの意図を察して行動する。いつもわがままなどんちゃんに困って、人に変わってたしなめていた。
雷田といつも一緒に居たどんちゃんは、雷田が動かなくなり、何が起きたか分らないで戸惑っていた。今はフクちゃんと一緒に居る。だんだんに慣れてもらうしかない。雷田との10年は小田原になじむ10年だった。お互い新天地で共々張りきって暮らしたのだと思う。一緒に山の中をずいぶん歩いた。養鶏場までも毎朝歩いて通っていた時期もあった。首輪をはずしても、人から離れることはなかった。人を噛むというようなことは、間違ってもなかった。私の飼った犬の中では最も従う犬だったと思う。従い過ぎる所が少し可哀そうな気もした。この大切な10年を共に過ごすことが出来たことは、感謝しても余りある。死ぬ3日前まで、何とか散歩が出来た。良く動けなくなっても、何とか外でトイレはしていた。飼い主に迷惑をかけないでと考えているようだった。