TTP交渉の矛盾
TTP交渉は相変わらず内容が見えない。気を付けてみているつもりだが、興味のあるお米についてどうなっているのかがわからない。難しい話の付きにくいことは先送りしているようなことを言っているが、たぶん嘘だと思う。嘘のまま、何故か年内決着とか言われている。TTPに入るかどうかがまだ揉めていた頃、よく言われたもっともらしい意見に「交渉に入る前から、決めつけないで、交渉してみてダメならよせばいいのだから」こういう意見が出ていた。上手い説得の言葉だ。「そうだ、そうだ、やりもしない内から、ダメと決めつけるのはおかしい。」という機運が高まったと思う。果たして今交渉から離脱は出来るだろうか。止められる訳がない。そういう筋書きである。結局は、農業分野は大きな打撃を受ける。そのことが、日本という国の成り立ちを揺るがすおそれがある。経済だけで見れば、日本は農業を一切やめてしまうという方向もある。しかし、総合的に日本の未来を考えれば、それでは国のかたちに無理が生じるだろう。というのも多くの人が感じているところだ。
安倍氏の瑞穂の国美しい日本論のような、曖昧なよさそうな空気だけで、その犠牲が地方の農業者にかぶってきている。さらに荒廃する。農業を止めるなら止めるで、そう決めた上で方向を示すのが政治だ。続けるということの根拠が、訳のわからない、国際競争力のある農産物論を持ち出してくる。日本の農業と言うが、瑞穂の国であり、問題は稲作をどうするかに尽きる。このことは、中山間地の農村地域をどうするかの問題でもある。これもまた、放棄するというならそうはっきり決めればいい。ところが、曖昧に地方の時代と、ごまかしているから、そこに暮らす多くの良心的な人が、犠牲になっている。イノシシやシカが出てきて農業が出来ない。対応してくれているのは、良心的な地域に暮らす人だ。国や公共が対応してくれる訳ではない。経済とは別に、地域を守るためにはありとあらゆる膨大な仕事がある。そういうことは、誰かに押しつけて、国際競争力のある農産物と言っても、犠牲部分に目が行かない。
稲作をどうするか。具体的に議論すべきだ。国際競争力のある稲作が出来る場所では、大規模化し、機械化し、大いにやってもらえばいい。その軌道に乗せるためには、補助金ではなく基盤整備だ。問題は競争力はないが、地域の維持のために、環境保全のために、やらざる得ない水田をどうするかである。水田を止めた後、その地域をどのように維持するのは、放棄するのか。明確な地域の位置づけが必要である。自給的農家の意味も明確にすべきだ。迷惑だから止めろというなら、はっきりそう決めればいい。農家の戸別補償など、じり貧を待つような、真綿首は何にもならない。補助金農政ではだめだ。必要な業として可能な体制を作らなければ、後継者などでる訳がない。TTPは良い機会である。何故肝心な農業に関する論議を封鎖しているのか。
食料の安全保障と農業の関係。今後の世界の食糧事情の変化に対する見通し。農業と中山間地域との関係をどう考えるか。農業と環境保全の考え方。国際競争力の可能性のある地域をまず、指定して機械化のための徹底した基盤整備を行う。高品質な農産物が生産できるように、水の汚染や農薬の使用に関しても、世界に類を見ない厳格な基準を打ち出さなければだめだろう。国際競争力という意味では、日本の大半の中山間地は希望はない。しかし、地域の維持や環境維持には農業は欠かせない。中山間地へのインフラ整備。自給農業を行う人が、生きていける条件を作る。通信や寄宿教育。緊急医療。情報網。条件さえ整備すれば、どんな山の中でも生きていける可能性がある。それぞれが生き方を選択できる、条件を国は整えてゆく。直接の補助金ではなく、周辺環境の整備を行う。