水彩画論
芸術としての美術は、社会的な位置が大きく変わった。19世紀末から20世紀にかけてのセザンヌからマチスまでの美術推移は、絵画という自己表現方法が社会に対して、影響を与えてゆく能力の衰退ということが背景にある。それ以降、絵画も商業主義の中に巻き込まれながら、商品としての位置づけがなされてゆく。その意味で、現代描かれている美術を美術史的に見れば、商業主義絵画時代と言っても良いはずである。そうした資本主義的なものの見方から、つまり、クールJapanというような名称で世界に対し競争力のある、作品ということが言われる。一方に、商品でない絵画が膨大に生まれている。商品としての競争のなかでは、当然価値のないものは、社会的な意味が存在しない。それらのかつての美術史にないほどに、描かれている大量の絵は、いわゆる趣味的絵画と位置付けられている。
趣味という言葉での位置は、商品の消費者という意味である。だからこれも商品絵画の裏返しのようなものである。しかし、膨大にある、公募展の絵画は、単なる消費と位置付けられるのだろうが、その意味をもう少し深く社会的な意味から分析的に考えると、私的絵画と考える必要があるのではないだろうか。絵画という手法で社会にかかわったり、影響を与えたりする意思はない。しかし、自分が生きてゆくためには、趣味という、柔らかな穏健な言葉ではかたづけられないような、絵を描くことが生きるということの目的化したような、描き方を続ける人たちもいる。資本主義的な位置づけでは消費者。しかし、絵画することが、人生の目的化する人の群。これは、私的絵画として位置付けられるのではないか。ゴッホやゴーギャンは社会を変えてやるぐらいの目的を抱えて挫折する時代の人だとすると、全く社会的意識がなく、自己探求、はやり言葉でいえば、「修行」しているように描く大多数の人。
「私(的)絵画」は当然人間を反映している。一見、私絵画に見えるゴッホの絵はゴッホの人格表現とは言えない。ゴッホの目的とする絶対の美への探求と考える。そう思えるくらい、私絵画はその修行が深まれば深まるほど、絵はその人そのままに向かってゆく。しかし、発表を目的にしていないのだから、発表することで、社会に、人に変化が起こればいいと考えているとは言えない。自分の個人的なものであるから、日記のようなものであり、人に見せることを受け入れている人のものはブログのようなものである。こうした位置は、商品としての競争から、脱落したものが大半を占める訳だが、その諦めを含めて、修行としての意味を持ち始める。この時に、水彩画が意味をもつ。水彩画は、内的なものをメモすることに優れている。頭に浮かぶイメージのようなものは、おぼろげで、曖昧である。この頭の中と語り合うことが、私絵画では、主要な作業になるために、水彩画の特徴が生かされることになる。試行錯誤の痕跡が残ることを重視する人は、油彩画を行うのだろう。
日本人の感性の蓄積の中には、伝統的な受け止めとして、線やにじみに対して、反応できる能力が高い。ある意味文化的素養ともいえる。書道の成立や、文字に対する反応の深さは、東洋的な伝統であろう。水墨画の世界が一つの道として確立される。水墨の世界は極めて、精神文化的なものとして確立してきた。中国画では画面の中に詩が書かれたりすることに、何の違和感もない。中にはその絵を見た人の感想が書かれ、それまでもが、作品として鑑賞される。こうした、水墨の人格的とも、精神的ともいえる、日本の伝統絵画と、私絵画が出会う時代。この時に、水彩画という描法が、意味を持ち始めている。水彩人の宣言では、水による、最も単純で素朴な方法を課する。むしろ、「内」に向かっての探求である。こう宣言した。この原文は松波氏の書いたものであるが、設立メンバー6人の共通する思いであった。