シリアサリン使用
シリアでサリンが使われたようだ。問題は誰が使ったかである。アメリカ政府によると、シリアアサド政権だと断定している。しかし、アサド政権は、反政府勢力の自作自演だと主張している。どこまで行っても真実は遠い。真実に至れないまま、アメリカがミサイル攻撃を準備している。このまま攻撃を行えば、アメリカの自作自演ということまで、言われるようになるだろう。アメリカにとってはイスラエルの問題が重い。真実など、その時々で変わる。アメリカの攻撃があれば、誰が一番得をするかと言えば、反政府勢力である。一番疑われても仕方がない。こういうことに対する日本政府の姿勢は、自主性が全くない。イギリスでは、アメリカの主張に呼応してミサイル攻撃に同調すると、キャメロン首相は力説していた。ところがイギリス議会がこれに反対した。これは議会制民主主義というものが生きているということである。
日本の自民党政権では、安倍総理の主張に反対できるような、骨のある議員はいないだろう。イギリス議会がうらやましい、ということを、河野太郎氏が書いている。つまり、政党の判断ではなく、議員自身の判断力が問われている姿である。イギリスに引き続き、アメリカでも議会の判断を仰ぐことになった。アメリカの場合は、オバマ大統領は下院では少数派である。共和党が多数派である。こういうとき、議会に判断を求めるという意味が存在するというところがアメリカのすごいところである。議会制民主主義が成立しているということになる。日本の議会では政党の拘束が強く、あるいは議員各自に考えがなく、こういう流動的な議論に待つようなことはない。国会議員と言っても、政党という会社の社員のような感じだ。社長の意見に文句があるなら出てゆけということになる。政党内部で話し合いというものが存在しない。それは、みんなの党のもめごとでも、維新の会の党首の意見対立など、十分な話し合いというものがない。
シリアのサリン事件に対して、日本政府が独自に情報を持っている訳ではない。その結果イラクの二の舞になる可能性が高い。例えば、アメリカが攻撃をした後、反政府勢力がやったというようなことを暴露する。その暴露も、シリア政府の演出というような、すべてがはっきりしないことになりかねない。戦争の発端などいつでもそういうものだ。サリンの使用が反人道的武器の使用で、とんでもない。許されない行為だというなら、アメリカは原爆投下を日本に対して行った国としての自己矛盾や、反省というものは存在しないのだろうか。そもそも、一般市民を殺戮するということ自体が、反人道的行為で許されないことになっている。シリア政府の行っている、国民に対する殺戮に対し、国際社会がどのように対応方法があるのか。国連はシリアに入り、サリン事件の調査を行っている。サリンということは特定されるかもしれないが、誰がやったということまでわかるとは思えない。
国連が必ずしも中立的存在でないことは、先日の韓国出身の事務総長の、日本の歴史認識に対する発言は不思議なものであった。本来であれば、両国の対立を解き、話し合いの解決を導く役割が国連にあるはずが、対立を強めるような発言をしている。こういう態度の人に、シリアの内戦の仲裁が出来るとは思えない。すでにアメリカ寄りの発言をしている感じがしている。日本政府には、アメリカの強い圧力がかかるだろうが、武力攻撃をしないように同盟国として、進言すべきだ。下手をすれば、こういう時に同調させられるのが、集団的自衛権の拡大解釈である。イラク戦争がまさに国連の承認なしに、日本が加わった戦争である。そして、大量破壊兵器が存在しなかったというばかげた結果であった。そして、何も解決しないイラクの混乱は続いている。シリアも同様である。武力による問題の解決などない。アメリカがミサイルを撃ち込んで何かが解決するということがない。世界が、国連が、シリアのサリン事件に声明を出し、制裁をする。大した効果がないとしても、ミサイルよりはましである。