梅雨入りの間違い

   

気象庁の梅雨入り判定は外れた。外れたにもかかわらず、梅雨の晴れ間、梅雨の中休みなど相変わらずの対応である。過ちては改むるに憚ることなかれ。雨が降ったのは1日だけだ。梅雨にはまだ入っていない。私は以前から、14日が梅雨入りと考えていたし、それが例年の梅雨入りの時期で、沖縄が梅雨入りして1ヵ月後というのが平均的な姿である。沖縄が梅雨入りした5月の半ばに、6月14日に梅雨入りを予想した。小麦の刈り取りは12日か、13日と慎重に判断した。まさかの気象庁の関東までの梅雨入りでびっくりしてしまった。天気図から見て何を慌てているのかとびっくりした。何故、気象庁が外れるかと言えば、天気の傾向が変化していることを、コンピューターが読み切れていないからである。梅雨というものが変わり始めている。昨年も豪雨があったが、梅雨らしいじとじとした長雨はなかった。温暖化に伴う変化が最も大きな要素だ。過去のデーターにとらわれすぎるのもだめだろう。

農作業をしていると、天気の変化には敏感にならざる得ない。雨が降る前に種を播く、苗を植え付ける。畑の耕運作業ならしばらく晴れ間が続いた後になる。特に稲刈り、麦刈りなら、乾いていなければ絶対に作業が出来ない。グループでやることが多い農作業だから、天候の予想はかなりの精度が必要になる。お茶摘みの適期を2か月前に判断するようなことは、普通の農家ならない。田んぼでいえば、1年間のスケジュールをすでに決めて出している。当然その年の長期予報をしながら決める。一人でやるなら、梅雨の晴れ間でも、思い立って一気にさあーやってしまおうということが出来る。しかし、何日か前から作業の可能不可能を決めなければ、よいグループ作業にならない。これが間違うと、手順がすべて狂うことになる。今年の梅雨入り宣言には怒りを感じるのかといえば。まあ、そもそも信じていないから怒りは感じないか。コンピューターに怒っても始まらない。気象衛星の映像は、だれでも見ることが出来る。私のような素人でも、今後の展開はそれによってある程度は判断出来る。

確かに今日の天気予報は良く当たるようになった。それでも、グーの天気予報ははずれることが多い。最近は週間天気予測の信頼度がA,B,Cで表示されるようになった。その日の天気予測はアメダスを見て自分で決めることにしている。判断材料は多いほどいい。「漁師さんに日和見はどうするのですか。」と聞いたら、「これだよ。」と携帯を出した。という笑い話を最近聞いた。要するに材料をもとに、どう判断するかである。私は箱根の方の山の様子を見てその日の天気は最終的に決める。局地的な違いがある。足柄平野と舟原ではかなり天気が違う。標高差で150mの違いもあるが、谷間に雲が溜まるのか吹き飛ばされるのか。この違いは山の様子でその日の変化を考える。風向き、雲の様子。湿度。

天気予報では今日は洗濯肢指数がいくつ。上着は一枚必要。帽子はあった方がいい。夜のお出かけには、傘を持て。日やけ止めが必要。熱中症注意報。余計なお世話ばかり言っている。同じボリュームで伝えなければならないのだ。必要なのは天候を判断する材料の方である。判断はそれぞれが行う習慣にした方がいい。これは文化の問題である。親切のつもりであれこれ余計な指導をしたがるのが、最近の日本人の劣化の傾向である。そのために肝心の情報の方が不足する。天気予報で重要なことは、天気図の今後の変化の読みである。だから天気図を示しながら、概況を説明することが重要。後は自分で判断しなさいの方がいい。私が14日梅雨入りを判断して、麦刈りを失敗するのは小麦の会の迷惑である。相当真剣に判断する。もちろんそれでも外れることもある。しかし、自分で判断したのだから、責任は自分にある。

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