96条改定派の学者

   

96条の改定は、政治の都合だけの主張だと考えていた。まさか憲法学者にそういう考えの人がいるとは思っていなかった。ところが驚いたことに居たのだ。京都大学の憲法学の大石教授は96条の3分の2要件を過半数に変えることに、賛成だそうだ。理由は、「国民に憲法を問うことはいいことだ」が理由らしい。これが学問の結論かと思うと、まともな憲法学者とは思えないのだが。もっとちゃんとした法理論が必要である。弁護士であった橋下氏も、96条改定賛成を主張している。法の精神というものは、そんなご都合のものであろうか。悪法も法なりというソクラテスは法を重く見すぎか。少し反省もした。探してみたら、高崎経済大学・八木秀次教授も同様の意見だそうだ。しかし、この人の場合さらに驚いたことは、改憲の必要性がたくさんあるので、96条をまずは変えたいという実務的な考えである。変えるべき問題があるなら、正面からその問題を議論するのが学者ではないだろうか。

憲法が改定が3分の2の発議が良い理由は、日本という社会の状況にある。国民の意見が国の基本に対し、大きく分かれているからである。軍隊を持った方がいいという人と、軍隊を持つべきではないという正反対の考えの人に分かれているからである。現状では、自衛隊ぐらいがいいという人が多数派か。しかし、憲法で持つことはできなくなっている。そこで、憲法解釈論で、自衛のための軍隊である自衛隊は合憲であるという、無理のある解釈でここまでやってきた。それが、日本の戦後の経済成長の大きな要因であったと考えて間違えがない。軍事費があまり要らなかった。もう一つは、日本の再軍備を不安視していた、世界中から、受け入れてもらうことが出来た。このあたりがあって、日本は、軍事力ではなく、経済力で世界での地位を確保しようと頑張ることになる。この間も、当然再軍備すべきという勢力は存在したが、少数派であった。これほど国論の割れている先進国はない。だから、憲法改定は出来なかったし、簡単にすべきではない。

憲法9条のもつ、理想主義と現実社会の矛盾に国民全体が向き合う必要はある。その意味でまず憲法を十分に読み、議論することは必要なことだ。ところが、驚いたことに、9条を議論することを避けて、96条を変えてしまおうという、驚くべき変則手法が登場した。本音は自民党憲法草案がすべてであろう。隠している訳ではない。ところが、それを正面から議論すれば、憲法改定は出来るわけがない。選挙をして、3分の2を取ることは不可能と考えたのだろう。96条だけを正面に出して、憲法を変えやすいようにだけまずする。こういう悪質な政治手法だと思っていた。ところが、こんな国民を欺くような憲法改定を、持ち出すにあたって、憲法学者の中に96条を過半数に改定することに賛成する人間がいたのだ。学者ならその根拠をわかりやすく説明する義務がある。

大石教授は「最初の発議要件のハードルを高くしたまま憲法改正の入り口を閉ざす必要はない」と主張している。国民投票を重視している考えであろう。国民投票に行く人の過半数が軍隊を持ちたいという人であれば、憲法を軍隊を持つと変えた方がいいという考えとなる。憲法というものが、一時期の感情に流されていいものとは思えない。日本の100年先まで、見通す方向性を定めるものである。その時の感情論の、しかも投票者の過半数で決めるということになれば、時代の空気で国民の投票は流される。大石教授がなぜ、憲法というものを大切にしないのかが、不思議でならない。大石教授の本当の理由を調べても良くわからない。国民に判断を任せようという考えなのだから、憲法学者として、96条改正論の論拠を、わかりやすく国民に示すことが、京都大学教授としての義務ではないか。もし、どなたか、大石氏の主張が書かれているものがあれば教えていただきたい。

 - Peace Cafe