小田原の中学校で起きていること
小田原の中学校で事件が相次いだ。一つは体罰の問題。もうひ一つが夜に学校がひどく荒らされた事件。両者関係がないように見えるが、第一の事件に触発されて、第二の事件が起きた可能性もある。中学生による路上生活者への襲撃事件が、昨年春から夏にかけて繰り返し起こり、二つの中学校に行き校長に話を聞いた。今の小田原の中学の状況が少し理解できた。学校に勤めていたことがあるので、学校側の困惑が充分に分かった。現場は良く努力をされている。事なかれでもないし、不誠実でもない。学校だけでは手に負えない事態が、地域社会に起きているということを痛切に感じた。市民が学校を守る気持ちを持つ必要がある。第一の事件は男子生徒16名を平手打ちをしたことだ。すぐに校長に報告し、保護者に謝罪をしている。何故、ベテラン教師が体罰が問題化している状況を知りながら、こんなことをしてしまったのかが不思議。生徒が、教師に向かって、「ハゲ、バカ、シネ。」と発言したと言う。実は、私もよくハゲと言われた。中学生はそういう年ごろなのだ。
教師はあらゆる場面を利用して、教育が出来なければならない。その専門家なのだ。腹を立てて手を上げるようなことは、あってはならない。教育をしているという気持ちを常住坐臥失わず、今何が必要か、最善の道を考える。中学生と言う年代は反抗したくなって当たり前だ。閉塞的な社会の中で、両親が失業していたり、教師どころでない問題を抱えているという状況は珍しいことではない。暴言を吐いてしまう生徒と一緒になって考える。私が良い解決が出来たとも言えないのだが、「ハゲと坊主は違うんだよ。毛が再生してくることで、生きているという事を確認するために、坊主にしているんだよ。」笑って話す事にしていた。生徒の気を抜くことから始める。その上でなぜ暴言を吐いてしまうのか、そのことが相手にどういう気分を与えるかを、ゆっくりと話し合う。そんな幼稚なことは止めようという気持ちにまで持ってゆく。一回ではとても無理だ。何回でも同じことをする。その生徒が大人になってから気付くかもわからない。
この教師を擁護する電話が教育委員会に入っているそうだ。「悪ガキどもを叩き直せ。こんなことで教師を処罰すれば、委縮する。」ありがちな意見だが、こういう意見が出て来る社会が問題なのだ。暴言を吐いた生徒を殴るようなことは、教育の放棄である。公教育の敗北になる。教師が責められなくてはならないのは、教育するチャンスを逃したということである。後で考えればこの教師自身やり方が間違ったことに気付いたようだ。体罰を必要としない教育があり得る、と考えたから体罰禁止に決まっている。学校教育ではどうにもならない事態が地域社会にある。それが第二の事件に現われている。映像を見るに、この壊しかたは度が過ぎる。生徒がいたづらにやったというレベルには見えない。反社会的意識が強く感じられる。相当の音がしただろう。長時間の仕業である。夜中に四階の窓から机を放り投げたとしても、誰も気付かない社会に驚かざるえない。昔の学校は、当直の先生が泊っていた。灯台としての学校の役割がもう少し大きかった。
こんなことになる前に、何故、小田原の教育委員会では手を打てないのだろうか。体罰やいじめが全国的に問題化している。当然小田原でも起こっているとしなければならない。学校関係者に接すると、問題は根が深く、深刻である。学校の内部的対応だけでは、手に負えない状況であるという認識ぐらい教育委員会になかったのだろうか。ホームページを見る限り対応はない。教育委員会の形骸化。教員や地域社会に対して、教育委員会はどんな発言をし、対応したのか。教育委員会制度の見直しは、早急に行なわなくてはならない。文部科学政務官の義家弘介氏はこんなことになったのも、日教組ができて、教員を労働者として見るようになったことが原因だ。とんでもない持論を展開していた。ひどいものである。文部省の責任や、教育委員会制度の形式化を幾らかでも自覚しているなら、こんな発言は出来ないはずだ。加藤市長もブログではこの重要案件に全く触れていない。どうしたことか。