水彩人展終わる
都美術館での公募展となった「水彩人14回展」が終わった。何から何まで初めてのことであったので、ご迷惑をおかけしたこともあっただろう。何か感謝の気持ちでいっぱいである。様々お許しいただきたい気持ちである。スタートの搬入でまず、最初のトラブルが起きた。小さい水彩画なので、搬入する人が持参される方が多かった。公募展に出品すること自体が初めてであった人も多かったのだと思う。絵を持って正面玄関から都美術館に入った。そして、受付で水彩人の搬入場所をはどこかと尋ねた。これが、都美術館の事務所の方の逆鱗に触れた。「搬入は裏口だ。」「水彩人はそんなことも指示していないのか。」これに始まり、数々怒られることになった。都美術館の使用方法は、普通の画廊のようなことは通用しないようだ。搬入者は109名。入選が77名。が一般公募の結果である。そして入場者数が5500名少し。以前は1万人を越えたこともあったから、今回場所が変わり減少したという事に成る。来年の応募要項が欲しいと言う人が新たに、40名ほどおられた。
会期中行ったことは、ワークショップを2日間開催したこと。最終日に全作品の講評会を行った。いずれもなかなかの好評で、大勢の方が参加されることになった。水彩を描いていると言う人がいかに多いかと言う事だろう。水彩人は小さい8号くらいの作品でも、良い作品を見やすく展示した。この事は長年の願いであった。成功したと思う。普通の公募展では、作品は2段がけ、3段がけに成っている所が多い。水彩画の場合上の方に展示した作品はガラスが反射してしまいほとんど見えない。これでは絵を鑑賞していただくと言うより、展示した。さあ見ろ。こういう事になる。見ていただく人にとても失礼なことだと思う。それに絵が可哀想である。展示するということは、どの絵もできる限り良い条件で見てもらいたいと考える。課題は水彩人が考える水彩の絵で、小さい質の高いものが、どれだけ集まるかであった。実際の展示であの大きな穴あきボードに邪魔されないように展示できるかであった。これは成功したと思う。
会場には水彩画と言うものの素晴らしさがあふれていた。見ている人の心に直接的に響いて行くのが水彩だと言う事を再確認した。絵画が絵描きのものでなくなっている。絵を売リ生計を立てる画家。水彩画はこういう絵描きのものでなくなっている。絵を描くと言う事自体が、自分の生き方を探る上で、とても重要な思索法に成っている。絵を描く修行と言うか、修行と言うと堅苦しいが、自分らしく生きる上で絵を描くことが欠かせない。誰かに自慢するためでもない。生計の足しにしようと言うのでもない。純粋に絵を描くことが面白い、その面白さの中に自分と言うものと向かい合うようなものがある。真剣に生きる手段として、水彩画を描くことがある。この手を動かし、目を開いて、思索する時間を貴重な物として暮らしている。その時水彩画と言うものが、とてもすんなりと心に入り込む人がいる。その個々人の絵画を素直に並べて見ようと言う展覧会である。
水彩人は水彩画の研究会である。公募展に成るとこうした趣旨を知らないまま応募してくる人もいる。巧みに作られていて、普通の公募展であれば、受賞作品ではないかと言うものでも、落選する場合がある。まるで素人が趣味で描いたように見えるものでも評価されている。水彩絵の具でしか描けない絵が評価される。研究会だからである。一般に細密描写のような傾向は、評価が低い。同人にそう言う人はいない。つまり、同人18名の絵が、水彩人の目指している方角と考えて貰えばいい。もちろん、同人も模索の中にいる。研究をしている所である。絵は個人のものである。坊さんの修行も個人の問題である。しかし、共に道を模索するということは、精神的にとても大切なことに成る。個人の存在をかけがえのないものとして、信頼を結びながら、厳しく磨き合う。「外」に向かってでなく「内」に無かっての探求である。14年前水彩人はこう宣言したのだ。