尖閣問題は何故エスカレートしたか。
中国は何故ここまで尖閣問題をエスカレートさせたか。一つは石原都知事や安倍自民党総裁を代表とする、日本の覇権主義に対し、危機感を抱いたという事ではないか。尖閣問題で圧力をかけ、日本で目立ち始めているナショナリズムに警告している。中国の国内的には、経済格差と共産国家主義のほころびが起きている。経団連から尖閣の国際司法裁判所への提訴とも受け止められる発言が出てきている。私と同じ考えがだが意味が違う。当然のことであるが、尖閣だけでは解決できない日中間の歴史的問題が存在する。これは日本の問題と言うより、欧米による、アジア植民地支配と言う帝国主義の残した問題と考えた方がいい。中国と言う歴史的に中華を名乗るような大国が、近代化から取り残され、遅れた国家として屈辱の扱いを受ける。誇り高い中国人には耐え難い状況の近代の歴史である。それが、大量の安価な労働力と、国家統制による経済至上主義によって、世界第2の経済大国にのし上がる。
いま起きていることは、中国の歴史的誇りの回復である。ベンツに乗った若い成功者が、日本大使の車を襲い、日本国旗を奪う。これが中国の現実である。だからこそ中国の飛躍的な経済発展が起きた。中国人は多様である。経済格差が象徴するように、路頭に迷う膨大な人間と、1割くらいの優秀かつ勤勉な人々である。これを国家が強制力を持って操作し、経済至上主義で突き進んでいる。農業で考えれば、個々の農家の考えをコントロールして、一定地域を方向を定めた農業転換を行う。日本の農業が行き詰まる主たる原因となっている、財産としての農地という問題がほぼ無い。中国の農業生産を左右する水の問題も、巨大なダムを強制的に作るような政策が実行できる。これは道路でも、農地の統廃合でも、同じような強制力をもって行われているともいえる。もちろんここが中国の賢明な所で、この強制力が複雑に柔軟に行われている。
経済大国化して、世界が中国を重視しざる得ない状況になれば、中国は近代の歴史の中で踏みにじられた誇りの回復は当然起こるだろう。その矢面に立つのは日本である。本質的にはその責任のかなりの部分が欧米の植民地政策にあるのだが、怒りの矛先が同じ東洋人に向かうのは、やむ負えない人間の心理でもある。つまり、本来であれば同じ条件にあったはずの日本がいち早く帝国主義化し、中国に進出してきたのである。中華思想からすれば、耐え難い屈辱であったのだろう。しかし、中国は近代化の中で、日中国交回復後の40年間我慢をしてきた。背に腹は代えられなかったということだろう。そしてついに、日中の経済の世界での位置が逆転した。もう日本などに世話に成るか。食い物にされてたまるか。こういう思いが爆発して来る要因である。確かに、中国は日本が役に立つことはもう無い。と考えるにいたったのだろう。
同時に国内的な経済格差が、危険水域にある。いつ暴動や天安門事件のようなことが起こっても不思議が無いような、状況がある。経済の停滞が起これば、極めて危険な状況である。そしてその経済危機は遠からず起こる。多分中国の指導部ではそのことで精一杯のはずである。政治的にも想像しがたい権力闘争が内在するはずだ。指導部の腐敗と言う事も無いはずがない。こうしたことが総合的に、尖閣の問題に集約されたと思われる。もしこの分析が間違っていないとすれば、尖閣問題は根が深いということである。日中の関係も当分の間、改善の見通しはたたない。日本では国際司法裁判所に提訴すれば、簡単に日本が勝つと考えている向きがあるが。井の中の蛙である。世界は日本に対してそれほど優しくはないはずである。歴史判断では、意見は必ず分かれる。その分かれ方は、進出した日本が悪者に成る見方を想像して置かなければならない。