首長は泥をかぶらない。

   

民主党の安住淳国対委員長の発言である。「立派なことは言うけど泥はかぶらない。この仕組みは何とかしないといけない。」その通りである。押し並べて、政治家で泥をかぶろうなどと言う人はいない。世間の人よりずっと、名誉欲が強く、自分だけが正しい人と思い込み、良い子になろうと言う人である。この国をあるいは、この地域をこんな風にしたい、と言う理想があって政治を志したとはとても見えない。選挙制度が主たる原因で、政治家をそういう人間にしてしまう。選挙民の意識に重大な責任がある。政治と言うものを、周辺の利害やその時の風潮で判断する。これが政治家をまともなものにしない原因である。選挙という制度が形式的民主主義を生み出している。と言いながらも、不十分を抱えてやって行くのが民主的なんだと、諦めるしかないのだが。

分かりやすい例が、佐賀県知事である。知事は内心原発容認は既定の路線であった。それを、形式的手順で、そつなく進めようとだけしていた。あの説明会の後の満足げな記者会見が、その思惑を良く表していた。「良い説明会であった」と自画自賛していた。良い説明会どころか説明会のとしての意味を持っていなかった。不安な住民が何でも、どこまでも説明を聞けなくては駄目だ。知事としては筋書きを上手にこなしただけであったのだ。手順を踏んだ。さあ次の段階と考えていただろう。今の態度も、反省が足りない。政治家はあんな程度のものだ、と多くの人が感じたと思う。石原都知事も原子力発電の必要論を発言している。新しく東京に作るという発電所は何故か、原子力ではない。自然エネルギーでもない。天然ガス発電らしい。それでいて、地球温暖化を避けるために原子力発電は必要だと、わが身を顧みず発言している。まさに泥をかぶらないで、立派なことだけ言っている。

政治家は上っ面は巧みである。攻撃も鋭い。しかし何かを作り出すとか、決めるとか、行動するとか、地道に調べるとか、そうしたことは、普通の人より劣っているらしい、巧みなのは口だけである。やることはやらないでも、上手いこと口だけは動く。口だけでどうにもならないことは、口にしないし、気がつかないふりをしてやり過ごす。たぶん世界中の政治家の傾向なのだと思う。嫌われてもやり抜く人は選挙で選ばれない。民主党のマニュフェストは、できないことまでやれるようなことを書いてしまい、今に成って訂正している。子供手当に所得制限を設けないのが、民主党の党是だ。などとあの年をして子供手当をもらっていた、鳩山氏が発言しているのがおかしい。

首長が立派なことを言わない方が良いのかと言えば、そうではなくて、立派なことを実現するには、泥もかぶらなくては出来ないのですよ。税金を上げたり、復興国債を赤字でも発行しなければ、やりたいこともできないのだから、国民に負担をかけるようなことも言わなきゃ、ずるいよ。ということだろう。原発補償以外はその考えでも良い。放射能汚染の責任はとことん東電にある。このことだけは、ごまかされてはならない。B型肝炎の補償で税金を上げると言うことらしい。当時の厚生省の責任者や、製薬会社、薬事審議会の審議委員の人など、充分な責任を取ったのだろうか。そうは思えない。東電に騙されてはならない。だませると思えばまた原発をやるに違いない。原発を推進した関係者すべてが、この事故の責任を自覚しなければならない。そういう泥をかぶる発言も政治家にはしてほしい。

昨日の自給作業:大豆、サツマイモの草の整理。1時間 累計時間:1時間

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