おだわらトライフォーラム

   

小田原市では、現在、おだわらTRYフォーラムへの参加を募集している。新総合計画を作るに当り、おだわらトライフォーラムと言う手法を提案し、市民参加を呼びかけている。市民団体等が政策提言を行い、行政の提案も含め、無作為で抽出された市民が、各テーマを討議する。加藤市長の市民参加の形が具体化されてきた。斬新な手法であり、新しい挑戦だと思う。幾つかの市民団体に参加するものとして、政策提言ができるか考えている。所が問題は、テーマが既に設定されていることにある。63テーマとなっている。多分各課から、討議テーマとすべき課題を挙げていったのだろう。だから、この63のテーマの挙げ方に、総合計画立案において「市民と討議すべき内容は何か」と言う。今の小田原市の市民とのかかわり方が現れていると言えるだろう。農政課では「十郎梅のブランド向上を進めよう」「農業を通した都市市民との交流を広げよう」「小田原の森を身近に感じよう」の3本がテーマとされている。

小田原市農政課が市民や市民団体と議論をおこない、総合計画を内容あるものにする為に、引き出そうという課題が、この3つである。私なら「食の地域自給」「遊休農地をどう考えるか。」「里地里山の再生」この3本に搾る。環境政策課では5テーマ。「ごみをへらそう」「ごみの分別をさらに進め、資源を有効利用しよう」「もったいないの輪を広げよう」「身近な自然を大切にしよう」「ごみ堆肥化の地域循環を進めよう」「ストップ!地球温暖化」何となく行政の思想が分かってきた。自分が業務としてやっていることに対して意見を言われたくない。こう言う思惑が背景に潜んでいる。私なら「ごみの焼却」「広域ごみ処理」「製造者責任に対し」「ごみ会計の検討」この4つを提案する。

部門の中にはとてもシリアスなテーマ「自治会についてかんがえよう」地域政策課。こんなものもある。私が考える側面とはまるで違う意味の提案なのかもしれないが。じつは、どのテーマも繋がっていて。「身近な自然を大切にしよう」という漠然としたテーマだって、大げさに言えば世界金融システムと関連する。それが暮らしというものだと思う。そうではあるが、ごみについて広域処理が避けられているのは問題である。今ごみ処理において、緊急の市民的課題である。ごみ広域処理を検討課題にせず、ごみの事を考えることなど不可能である。100億円の巨額な費用が掛かる計画が市民に何も知らされず、意見もまったく言えない状況で、着々と進行している。市議会においても、まともな議論はされたこともない。市民に意見を言わせたら都合の良くないこと、これこそ、大いにテーマに上げ、暮らしとは何かを考え、行政の役割、市民の役割を認識することが重要ではないか。火葬場は地域に対して、説明もなく広域化されてしまった。市民もぼやぼやしていられない。

農業で言えば、小田原と言う恵まれた土地で可能となる、地域内循環こそ重要である。どうすれば地域自給が可能になるか。これを市民が話し合うことに意味がある。しないで出来た沢山ではない作物が、なぜ地域で消費されないのか。なぜ、農家が経営できなくなるのか。市民はそれに対して何が出来るのか。議論すべきテーマは極めて重要で、豊潤であるとさえいえる。議論を避けなければならない理由は何か。なぜ行政は正面からこのことをテーマにしないか。業には立ち入らないと言う事か。そう言う事ではないようだ。行政の考える市民像が、少し違うのではないだろうか。悪く言えば、意見の分かれるようなテーマでの、難しい議論は無理だと見ていないか。市民団体として、このように限定されたテーマ内で意見を出すことは難しい。これで充分に市民の意見を取り入れた総合計画に成るとは、残念ながら思えない。テーマの選定のやり直しが必要。少なくとも、「その他のテーマ」と言うジャンルを設け、意見募集をすべきだ。

昨日の自給作業:種蒔き1時間 累計時間:21時間

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