生まれてきたこと、死んでゆくこと

   

 確かに生まれてのだと思う。そして毎日が死んでゆくことに向かっていると思う。そして、73歳の今日の一日を生きて行く。これ以上無いくらいに自分の命を生きたいと思う。失敗ばかりの日々であるが、失敗が次の前に進むための材料だと、できる限り前向きに考えている。

 具体的に昨日一日のことを書いてみる。精一杯のことであっただろうか。朝起きてブログを書く。そして動禅を行う。食事を食べ、のぼたん農園に行き水牛の世話をする。10時になったらバガスを石垣製糖に行ってもらってくる。そして麦畑にする予定地に播く。12時過ぎまでに軽トラ3台をもらう。

 バガスというのはサトウキビを砂糖にする時に出る絞りかすである。バガスはまだ見たこともない材料であったが、以前から期待していた材料である。二年前くらいから野済みにしたままのバガスをもらった。バガスを堆肥にした製品が売られているくらいだからこれをかなり量入れれば良い土壌になりそうだ。

 軽トラダンプで3回運んだ。上手く落とすことが出来なかった。ダンプ作業がまだ未熟である。できるだけちらばせたかったが出来なかった。跡でシャベルで広げればと思ったが、これがかなり大変で余りやれなかった。後でやらなければならない。

 石垣島の腐食の不足している土壌にはバガスを入れることで、腐植質が増加できるのではないかと期待している。以前からやってみたいとは考えていたのだが、今回お願いしたらいただけることになったのだ。置き場に困るほど在るようだから、今後いくらでももらえそうだった。

 土をよくする。畑をよくする。そして良い作物を作る。どのように畑に入れてゆけば良いか、実に興味深い。小田原であればソバカスを使っている。これがバガスで代用できれば、土が良くなること間違いが無い。新しいことを計画して実践してみる。これが限りなくおもしろいことなのだ。

 午後3時頃からトラックターで小麦畑を耕した。石を拾って畑に出しては耕した。何とかトラックターでバガスを広げられないかと試みたが余り出来なかった。今度またやってみる。ロータリーを逆回転しながら、進むといくらか広がる。それを終えて4時半頃水牛をもう一度見て家に戻った。

 朝のことにに話を戻せば、ブログをまず書く。6時頃文章を書き終われば、動禅を行う。動禅では意識を集中して行うことにしている。神経を研ぎ澄まし、ゆっくりとした動作が正確に行われるようにしている。動きだけを考えるから、この50分は他のことが入る余地がない。この集中がとても大切な気がしている。

 昼食を食べて、午後には一枚の絵を描いた。花鳥山の一本杉を描いた。その後また小麦畑の石拾いをしながら、耕耘をした。農作業の一休みで絵の続きを描いた。絵は思いもよらない物になったが、一応出来たようだ。こうしてこれ以上はないという一日を日々生きることが出来る。

 その日々に感謝している。つまり生まれてきたことはありがたいことである。こんな日々を送ることが出来るという幸運である。死ぬ日までできる限りの日々をこうして送りたい。失敗ばかりしているわけだが、それを材料にして、努力して道を見付けてゆきたいとおもう。

 心配も山ほど在る。石垣島にミサイル基地が出来てしまう。止める努力はしてきたが、十分でなかったのだろう。もっとやることはあった。石垣島に暮らす当事者として努力足りなかったのだと、反省ばかりである。人殺しに加担したようなものだ。後々の人に謝らなければならない。

 直播きの発芽がかなり悪かった。そしてやっと出た、今度は芽を鳥が食べていることが分かった。悪天候の可能性も考えて対策をすべきだった。鳥対策が甘かった。今になって反省している。後悔遅し。またみんなに迷惑をかけた。後悔の多い毎日である。ここには書く気にもなれない申し訳のないことも多々ある。

 のぼたん農園の冒険は、まず1年目に土木作業をあらまし行った。これは予定通りに来た。二年目は土壌を良くしてゆくことだ。畑は腐食を増やす。今回のバガスもその一つだ。田んぼの畑には向日葵緑肥である。果樹園にはチップを蒔くつもりだ。

 田んぼはアカウキクサだ。溜め池から流れ出る水が良くなり、どの田んぼにもアカウキクサが増えれば、全体として腐植の増加が期待できる。抑草効果も期待できる。腐植の増やす方法の確立が二年目の課題だろう。考えただけでもわくわくしてくる。

 たんぼの畦際に溝を掘る方が良いという干川さんの指摘は正しいようだ。溝を掘り、田んぼの外に水を流す方法を考える必要がある。手作業なのでなかなか大変になるが、すこしづつやってみよう。改善してゆけば、必ず達成できるはずだ。

 ダメでもいいじゃん。口癖である。ダメでもいいじゃん。甲州弁である。どれほど一生懸命であっても結果は失敗が多い。それを受け入れるほか無い。受け入れて、もう一度挑戦する元気を出す。諦めればそこで終わる。粘り強く継続する。必ず出来るようになるという希望は見えている。

 心配なのは死ぬまでにのぼたん農園が出来るかなのだ。死ぬまでにまともな絵が描けるかである。何時までも死なないのであれば、どんなことでも必ず到達するきでいる。しかし、80を過ぎれば、農作業は難しくなるだろう。絵の法は100でも描いている人も居る。それまでに、絵が自分の表現になればと言うと焦りの気持ちがある。

 先の長い冒険である。一緒に冒険に出発したみんなには船長として、成果の少ない冒険の途上で申し訳がない。成果が出るには5年かかるというのが当初からのもくろみなので、許してもらいたい。試行錯誤しなければ、農の冒険は成果が出ない物なのだ。

 こんな試行錯誤の日々である。それが成果のある未来に繋がると思っている。意味ある結果を期待する性格である。ゴッホは立派な絵を描くと言うことで、人のためになる人間に成れると考えた。ゴッホなりに立派な絵を描いた。しかし周囲はその絵の素晴らしさを理解できなかった。

 ゴッホは無価値な絵しか描けなかったと考えてしまい、自分を嘆き、自分の価値を見失ってしまった。ゴッホは実は十分ゴッホの絵を描いていたのに、世間の評価で、自分を見失った。他者と自分を比べて考えたところに問題があった。

 私にはそれはないだろう。世間は余り問題にしない自己満足型の人間である。今はまだ死の身近な感じが無いから、感覚としては分からないことだが、十二分に生きたと思えれば、死ぬことを受け入れることが出来るのではないかと思っている。

 今のところすべてが途中で、まだまだ死ぬわけにはいかない。道元禅師も正法眼蔵を100巻まで書くつもりだったと言うから、途中で終わったわけだ。果たして途中で終わってしまい、書き残したことが多いのだろうか。それでもたぶん残念さはなかったと思う。死ぬことを明らかにしていた方だ。

 生まれてきたことは幸運でありがたいことであった。両親に恵まれたと言うことが一番の恩である。好きなことだけをやりながら生きてこられた。生きる才覚という意味では自信があった。やりたいことをやっていれば、生きていけると考えてその通りになった。

 そして、死んでゆくことを考える歳になった。70までは助走のようなものだ。これから何年生きるかは分からないが、70からやることが自分の総決算になる。のぼたん農園であり、絵である。総決算の30年と考えたわけだ。さあどうなることだろうか。

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