じっとしていられない子供だった。

   

 

 今もそういう傾向が無いわけではないが、静かにじっとしていると言うことが出来ない子供だった。何かやっていればいいのだが、何もしないで居ると言うことが出来なかった。いつも何かしらをやり続けていた。何かしていればそのことに集中は出来た。いつも次やることを探していた。

 やることに追われているような気分で、そのことに入り込んでしまい、人から言われたことがきちっと出来なかった。宿題はできたことの方が少なかったと思う。それは中学、高校、大学で変わらず同じだった。誰かに言われてやると言うことは、その後も私には無理だった。

 いわゆる務めをしたのは世田谷学園だけだった。学校では完全に自由にやらして貰えた。山本校長の御陰だ。ほとんど、美術の授業を好きなようにやった。生徒にとって悪い授業ではなかったと思っている。こうあるべきと考える授業を精一杯やった。世田谷学園だから、やりたいことだけやらしてもらい、上手く務めることが出来たのだと思う。感謝している。

 それから、山北での開墾生活にはいり、農業生活だ。誰かに言われて何かをやると言う必要は無い暮らしを選んだ。誰かに言われたことをやるというのは今も苦手なのだ。自分の考えたとおりにやるのでなければ、やれないのは大きくは変わらない。

 それは社会適応力が不足していると言うことだろうと、自分なりには考えてきた。発達障害と言うことが言われるようになって、たぶん自分はその傾向があったと思うようになった。そのことを調べてみると、なるほどと思い当たることばかりである。

 ADHDは発達障害の1つで脳の機能の発達に何らかの異常が生じることが原因と考えられています。子どもの約5%はADHDであるとされており、学業上での不注意が多い・忘れ物が多い・じっと座っていられない・授業中に席を立つ・順番を待てないなどといった症状が特徴的である。

 クラスには2、3人は居て当たり前なのだ。今思えば、私はこの病気だったと考えれば色々思い当たる。もちろん病気の性にして、いまさら言い訳をしようと言うことでは無いが。当時の学校の先生はだめな子供だから、強く怒れば直ると考えていたのだろう。時代の未熟のせいだ仕方がない。脳障害が怒って直るはずもない。

 今もじっとしていられない傾向が無いわけではないが、子供の頃のように病的と言うほどひどくはなくなっている。意識して忘れものなど起きないようにしているからでもある。いつもカゴを持っていて、家を出るときはそれを必ずぶら下げて出るようにしている。

 そのカゴさえ持ち出せば、忘れものがいくらかは起きないようにしている。何でもかんでも必要そうなものは入れ込んでいる。それでもタブレットを良く忘れる。例えば筆記用具。どれだけ無くすか分からないので、入れてある。その箱はスーパーのカゴのようなものである。

 スーパーで買い物しなければならないときにも使えるようにしているのだ。石垣では買い物は余りしないので、そういう使い方はしないが。小田原に行けば必ず使う。見た感じが悪いので、気に入った手織りの布で覆ってある。車に積んであるので、このカゴにさえ入れておけば、忘れものは無いはずになっている。

 忘れものが不安で、今度はしまいすぎてしまい。どこにしまったのかが分からなくなる。しまったことを忘れてしまうことが今も多くて、整理して分りやすくしているのだ。それでも、しばらくするとどこにどうしまったのかが分からなくなる。我ながら情けないが、いつもこんな状態である。

 宿題など家に帰れば次の授業の時まで思い出すこともなかった。忘れものはひどいもので、いつも隣のクラスの金巻さんに教科書を借りていた。金巻産は家が隣だったのでかしてくれたのだ。何しろランドセルをそのまま持って行くだけだから、無い教科書があるのは当たり前だ。

 それで先生には良く怒られていたわけだが、その怒られている理由がよく分からないことばかりだったからどうしようもない。完全に抜け落ちてしまうので、注意していて何とかなるという気はしなかった。いい加減だから忘れてばかり居るのだとは思っていたが、怒られて直るとは到底思えなかった。

 今でもこういうことを繰り返している。先日台湾に行ったときには、コロナワクチン接種証明を持って行かなかった。台湾では不要と書いてあったので、用意したのに、持って行かなかったのだ。ところがなんと日本に戻るときには接種証明が必要だった。帰りの桃園飛行場で、証明書がなければ飛行機に乗れないとなって分かった。

 家に電話をして、証明書の写真を送ってもらい何とかなった。証明書はもらってしまい込んであった。台湾は証明書がいらなくなったと、台湾入国のことばかり考えていて、まさか日本の帰国にワクチン証明書が必要とは思いもしなかった。

 つまり、台湾よりも日本はコロナに対して厳しい対応を今も続けている訳だ。これも5月にはなくなるのだろう。しかし、よく考えてみれば、台湾に於いて行う、簡易検査があった。簡易検査の結果を写真で取っているわけだから、それを見せれば良かったのではないか。自主検査ではだめだったのかは分からない。ともかく感染していないことは今も同じである。

 人間誰しも色々な障害を抱えている。その程度は様々であろうが、人間はそれぞれなのだ。みんなでやる農業を何十年もやってきたので、随分色々な人と接してきた。本当に人間十人十色である。一人一人違う。その違う人が違うままで協働できなければならない。同じにしたいという、同調圧力は大嫌いだ。

 どこまでも他人に要求してはならない。人は人なのだ。その人がやりたいことをやれる場所でありさえあれば良い。自分が他人にやって欲しいことがあるなら、自分でやればいい。人には要求しないことが一番である。足りないことがあれば自分がやる。自分がやれないことは仕方がないことと受け入れる。

 人間は十人十色。違うからこそおもしろいのだ。違いを攻めたところで何も産まれない。確かにそんな調子であれば、グズグズの曖昧な組織になる。それで良いのだと思ってきた。軍隊じゃないのだ。むしろそれだからこそ良いと思ってきた。ダメでもいいじゃんは自分にだけではない。仲間に対しても同じでなければ。

 それでは組織として成り立たないだろう、と考える人も居るだろうが、実はその方が組織として良くなる。何の強制もないところの方が、いい加減でも許されるところの方が、居心地は良い。誰かが迷惑をしていると言えないこともないが、その人はそこで人間修行をしていると思えば言い。

 人のために黙って何かがやれる人ほど、すばらしい人は居ないのだ。そうしたすばらしい人を何人も知っている。だから人間を信じることが出来る。人間はそんなに悪いものではない。強制されなくとも、やりたいようにやりたいことをやって、何とか上手くゆくものだ。

 私のように発達障害的傾向がある人間でも、何とかみんなとやれてきた。迷惑はかけているのだろうが、許してくれる人も居る。普通の勤め人は無理な人間であったが、何とか暮らしてくることは出来た。残りも何とかこんな調子だ。

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