自給農法の探求の意味

   



 
 水彩人展で絵を語る会をやっている。コロナ以来あまり開催できていないのだが、止めたわけではない。絵を語る会は誰も教えない、それぞれが自覚する会である。その根本にあるのは、偉大な思想家は疑問を示すだけで、解答を提示している訳ではないと言うことがある。藝術は大疑問であり、回答ではない。

 曹洞宗で行う坐禅には、何の回答もない。答えのない只管打坐である。道元禅師は正法眼蔵を書き残した。しかし、そこにあるのはどう読んでも回答ではない。大きな疑問に立ち向かっている姿のような気がする。何度読んでも私には回答を読み解くことが出来ないので、そう思っている。

 そもそも生きるというこに回答があるわけがない。生きると言うことは常に進行形である。死と言うことが結論であるのだろうが、理解しにくい終わり方であり、何らかの回答が出るわけではない。考えれば死よりは生の法が経験したのだから分かりそうなものの、生もまるで意味不明である。

 道元禅師の言われる生と死を明らかにすることが仏家一大事の因縁とは、回答ではなく、大きな疑問を抱えて生きなければならない、といっていることになる。確かにそうなのだ、絵を描くと言うことがおもしろいのは、分からないと言うことを分からないまま、疑問として提示できるからだ。

 生きていると言うことは、より複雑で大きな疑問に立ち向かえると言うことなのでは無いかと思う。命を生きるに値する疑問を持つことのおもしろさではないだろうか。その一番の疑問が、生と死だと道元禅師は考えられたのだろう。

 のぼたん農園では、石垣島での自給農法の技術の確立を目指している。これから時代は、世界はさらに混迷して行くはずだ。そして飢餓に陥るようなことも起こるに違いない。その時に対応できるような、食糧の自給を自分の独力で出来る技術を確立したいと考えている。
 世界の混迷がそれで解決できると思っているわけではない。しかしこの混迷して行く世界に、自分に出来ることはそれくらいのことだと思う。たまたま自分が食料の自給自足を体験した。その経験を生かして、いくらか意味のあることは食糧の自給農法の確立。

 その食料生産技術は、「ひこばえ農法」と「あかうきくさ農法」に回答があると考えている。その技術の解明に全力で取り組んでいる。この2つの技術はかつてベトナムや中国で存在したものである。しかし、近代農業の中で失われたものだ。それを現代的に総合したい。

 この自給農法の確立に挑んでいる。農業技術は再現性が無ければならない。誰にでも出来なければならない。化石燃料の必要のない技術でなければならない。環境を破壊せず、汚さず、自然環境が永続して行くものでなければ成らない。しかも、日々の喜びに満ちたものにならなければならない。

 人間らしい暮らしの中に織り込まれるものでなければ成らない。農業を行うことが、生きる事自体を豊かに、健康的なものにして行くようなものでなければ成らない。朝起きたら、農場に行くことが楽しみになるような、生命を輝かすような農業技術でなけれ成らない。

 この自給農技術の解明に挑んでいる。すこしづつ進んでいる感じはあるが、まだ解明にはほど遠い。出来ることはしている。様々な試行錯誤をしている。分かってきたこともあれば、余計に分からなくなっていることもある。先入観を捨てて、すべてに感性を開いて当たっているつもりだ。

 実に楽しい事である。こんなに重要で、大きな課題に挑む機会が与えられたことが幸せだと思う。しかも、様々な仲間が現在39名で協働している。みんなで試行錯誤することで、一人で行う研究の数十倍の成果が生まれている。しかも、辛い作業もみんなでやるので楽しくやれる。

 自給農法の研究は、自分の身体で試すほか無い。手作業で出来ないことを技術化したところで、無意味である。自分の身体で試してみるほか無い。74歳の私に出来ることなら、普通の人なら出来ることになる。80歳までに何としなければ身体がついて行けなくなると考えている。

 あと6年である。動ける身体でいることも重要なことになる。自給農法の技術の確立は、36年前に山北で開墾生活を始めたときから探究を続けてきたものだ。その後あしがら農の会の仲間と、1反で10票取れる、畝取りできる自給技術を確立した。

 しかし、石垣島に来て、この島の気候水土に合う、自給農法を見付けなければ成らないことになった。新しい課題に出会えたことの喜びが、のぼたん農園を始めることになった。そして沢山の仲間と協働できている。何という幸運かと思う。全力で自給農法の確立をしたい。

 自給農法のことを書いてきたが、実は絵を描くと言うことも大きな疑問として同じなのだ。自給農を行う理由は、自分の絵を描く為なのだ。自分というものが分からなければ、自分の絵が描けるはずがない。所がこの自分というものは分かったようで、曖昧なままである。

 自分が観ている世界を、まだ見えていない部分を含めて、こうではないかという、自分なりの世界の見方を絵にしようとしている。感じ方や考え方、世界の見方は自分というものが、目
を見開いてみる以外にない。自分が成長する以外に、より深いところの自分との遭遇はない。

 何故そういう自分がこの先にあると考えているのかと言えば、絵がそれを指し示してくれている。1年前の絵、2年前の絵。そして10年前の絵。40年前の絵。60年以上前の絵。残された絵はその時の自分が描いたものである。その上で、今日一枚の絵を描く。

 絵は前よりは自分にいくらかは近づいている気がする。絵を描くと言うことは、何をどう探求したら良いのかすら分からない課題である。そのために自給農法の探求の日々を生きる必要があると思える。自分が十二分に生きると言うことがまずもって重要だと思う。

 これはおもしろいぞと好奇心が湧いて、日々暮らしていない人間は光を失う。光を失ってしまえば、職人の手仕事になる。絵を描くことに、自給農を行う必要がある。絵という大きな疑問に立ち向かうためには、自給農を続ける必要がある。

 自給農法にも、私絵画にも、結論があるわけではない。それぞれの行き着くところまでが、その人の生きると言うことなのだろう。全力でこの問題に立ち向かえると言うことが、日々を充実して生きると言うことになる。石垣島に来たことが、この素晴らしい日々を過ごせることになった。

 

 

 - 楽観農園